熱帯暗夜 (Page 2)

「伸晃君」
「どうも……、怜子(れいこ)さん」
 僅かに言い淀んでから伸晃は、女性の名前を呼んだ。
「お久しぶり」
 驚きが去ると、今度は苦笑しつつ怜子は応える。
 
「もしかして、ホテルの予約してなかったんですか?」
「したんだけどね……」
 ちらり、と怜子はロビーの外へと視線を飛ばした。ホテルの外では風雨は勢いを増し、通りの向こう側も見えない有様になっている。

 ロビーの隅へ移動し、怜子はこのホテルに辿り着くまでの顛末を伸晃に手短に説明した。
「流石に冠水したホテルに泊めろとは言えないでしょう」
「それは、そうですね。……行くあてはないんですよね」
「困ったことにね」
「交渉してみましょうか」
「いいわよ、別にそこまでしなくて」
「ダメ元ですよ」

 ダメ元、とは伸晃の偽らざる本音だった。だが、相手は台風という人間にはどうにもできない相手だったこともあり、緊急事態の特別措置のため他言しないこと、追加料金の即時決済という条件で許可されてしまった。

「シングルなんで、ベッドは怜子さんが使ってください」
 伸晃は備え付けのテーブルの上へコンビニ袋を置き、肩越しに怜子へ告げた。
「流石に悪いわ」
 カウンターで受け取った毛布をシングルベッドに置き、怜子が困ったように言う。
 
 それに対し、伸晃は少し迷いながらも何気ないふうを装って答えた。
「親父となら、一緒に寝ましたか?」
「それは……」
 尻すぼみに小さくなる怜子の声を、伸晃はコンビニ袋をがさがさと鳴らしてかき消す。

 テーブルにコンビニで買ってきたものを並べ、その中からおにぎりを手に取る。中身は梅干しだ。伸晃の父親が好きで、そして彼も好きな具である。それを脇によけ、中身が違うものを彼は手に取った。
 
「怜子さんは梅干し、ダメでしたよね」
「え? うん、そうね」
 鮭のおにぎりを受け取った怜子は視線を落とし、手の中でそれを弄ぶ。

「ねえ」
 再び背を向けた伸晃に怜子は少しくぐもった声で問いかけた。
 
「あれからどう?」
「怜子さんと親父が結婚した時から、まあ、変わりませんね」
「お父様に顔を見せに帰ってきたらどうかしら」
「仕事が忙しいので」
「……そう」
「怜子さんの方はどうなんですか」

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