故郷は君が待つ場所
山南賢吾(やまなみ けんご)は祭囃子に誘われて家を出た。そして出会った瑠璃(るり)と親しくなり、好意を抱かれる。だが、賢吾はいずれ住んでいる町を離れるつもりで……。
どこからか祭囃子が聞こえてきた。
調子外れのそれに、山南賢吾(やまなみ けんご)は耳を澄ます。
太鼓に、笛。それだけの素朴な音色は彼に故郷を思い出させる。
聞いたことのない調べではあったが、郷愁に誘われるように賢吾は読んでいた本を伏せて窓辺へと歩み寄った。
当然ながら目で音は追えない。窓の外には見慣れた風景があるばかりだ。新しい家と古い家がモザイク画のように立ち並ぶ住宅地のどこからか祭囃子は漂ってきている。
途切れ途切れで、調子外れの祭囃子。お世辞にも上手いとは言えない。しかし、そのたどたどしい演奏は不思議と賢吾の心を惹き付ける。
賢吾は伏せていた本に栞を挟み、部屋を出ることにした。
秋の終わりの風は思ったよりも冷たく、シャツ一枚では寒くなりそうだった。彼はカーディガンを上に着て、サンダルを突っかけると部屋を出る。
ぺたぺたと鳴るサンダルの足音に郷里での夏を思い出す。
子どもの頃はサンダルを突っかけて友達と一緒にお堂に集まって、お囃子の練習をした。
賢吾の故郷は山間の小さなもので、今住んでいる土地とは匂いからして違う。濃密な緑を孕んだ山々から流れる風ではなく、縦横に走る細い水路あるいは暗渠からの匂いだ。それは、この町が水を中心に発展してきた歴史と無関係ではないのだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、住宅地をうろついていると町の集会場のような建物に辿り着いた。二階建ての古い木造建築で、彼が住んでいるアパートよりもずっと年季がある。
広い前庭のようなスペースがあり、そこで子どもが熱心に練習をしていた。
それらを見ているとお堂の前に焚かれた篝火が爆ぜる音が聞こえてくる気がする。夜の闇を圧して広がる炎の色と、ちらちらと揺れる影法師のひとつになったように、お堂の前に並んだ祭りの日。遠くに霞んでしまったと思っていた日々を幻視し、賢吾は胸の奥に郷愁が広がるのを感じた。
「ねえ」
ぶっきらぼうに呼ばれ、賢吾は我に返った。
「なに見てるの?」
声の主は小学生ぐらいの女の子だった。
「つい懐かしくなってね」
賢吾が笑いかけると、女の子はまなじりを釣り上げた。顔を赤くし、彼に向って笛を突き付ける。
「笑うんなら吹いてみてよ」
しまったな、と賢吾は思った。どうやらこの少女は賢吾の笑みを侮辱と受け取ったらしいと。
「早く吹いてよ」
ぐいっと賢吾の手に笛を押し付け、少女は一歩後ろに下がる。
吹いて見せなくては梃子でも動きそうにない。賢吾は観念して、少女に問いかける。
「これを吹いてもいいのかい?」
黙って少女は頷く。他の子どもに視線を向けるが、目を合わせようともしない。我関せずということらしい。
「じゃあ、少しだけ」
歳月を経て飴色になった篠笛を構え、賢吾は唄口に唇を当てた。指の位置を調整し、息を吹き込む。
甲高い音が放たれる。子どもたちの吹いていた音色とは明らかに違う。芯の入った音色に、はっとした表情で他の子どもたちも賢吾を見た。
幾つかの音を出し、指の動きを確かめる。
体に染みついているのか。そう賢吾は思う。
初めて触れる笛にも迷うことなく、賢吾は子どもたちが練習していた祭囃子を吹いた。途切れ途切れだったものを繋ぎ合わせ、ひとつの旋律として奏でる。
一通り吹いたところで、賢吾は笛を下ろす。自分のものではない笛を吹くのは少し疲れる。
「ありがとう」
吹き口を軽く拭い、賢吾は女の子に笛を手渡した。
女の子はぽかんとした表情で彼から笛を受け取る。
祭囃子の出所もはっきりし、賢吾はすっきりした気分で子どもたちに背中を向けた。胸の中で疼いていた郷愁も薄れ、安アパートに舞い戻ることに抵抗がない。
だが、そんな賢吾のカーディガンを背後から引っ張る手があった。
お互いが繊細に大事に求めあう様に感動…
他の相手でも良いような題材では、気持ち良く読めませんが、益田氏作品は「その人だからこそ」で心に沁みます。男性向けではありますが、女体を大事にしている様も美しいです。
魚月 さん 2020年11月9日