故郷は君が待つ場所 (Page 2)
「待って」
振り返ると笛を彼に渡した女の子がカーディガンの裾を引っ張っている。
「教えて」
「え?」
「笛の吹き方、教えて」
女の子の顔は先程と同じく紅潮しているが、目はきらきらと輝ていた。さっきまでまなじりを吊り上げ、怒りを露わにしていたというのに。どういう心境の変化なのか賢吾は図りかねている。すると女の子はぐいぐいと彼の手を引っ張って子どもたちの輪の中へ連れて行ってしまう。
他の子どもたちもさっきまでの見知らぬ大人に対する目は和らぎ、どこか期待するような顔をしてすらいた。
そのまま賢吾は子どもたちの勢いに押されるまま、何度も笛を吹くことになる。
斜陽が影を伸ばし、夕食の匂いが漂ってくる頃になって、賢吾はやっと解放された。しかも町内会の役員に笛を吹けることが知られると、子どもたちの練習に付き合わされることになってしまったのである。
気づけば、その役員にまで気に入られ、賢吾は毎年秋のお祭りの時期になると、子ども達に笛を教えるようになっていた。
そして、本番になるとこっそりと見に行って、一人で帰る。
彼の郷里であったお祭りに比べると、盛大なもので屋台などもたくさん並ぶ。電灯の明かりを眩しく思いながら、賑々しい輪から外れる。そんなことを繰り返していた。
だが、大学を卒業し、就職をした頃から少しばかり賢吾のお祭り事情も変わっていた。
秋の早い夕暮れに紛れ、神社の境内の隅で待ち合わせをするのである。疚しいことはない。ただ、この辺りには町内会の役員がおり、なし崩し的に関係者となった賢吾はそこから子ども達の晴れ舞台を見ているだけだ。
お囃子が終わり、賢吾がじっと目を閉じていると肩を叩かれた。
「先生、お待たせ」
目を開けると、そこには一人の娘が立っていた。
夏祭りの時期ではないので浴衣でこそないが、関係者らしく法被を着ている。ジーンズにシャツというラフな格好で、若い娘らしく溌溂とした雰囲気があった。
彼女はそそくさと法被を脱いで丸めてしまう。それから小脇に抱えると、賢吾の手を引っ張る。
「行こう」
「ああ、待って」
賢吾は急いている彼女を引き留めた。
それから持っていた紙袋を差し出す。
「瑠璃(るり)ちゃん、誕生日だったでしょう?」
「先週の話だけどね」
法被を小脇に抱え、ふてくされた調子で言いながらも娘――瑠璃はいそいそと紙袋の中身を検める。
底から出てきたのはストールだった。若い娘に置くにはいささか地味な色合いではあるが、それなりに値の張るものだろうことは手触りで分かる。
「最近は冷えるからね。風邪を引かないように。受験も近いしね」
「ありがと、先生」
「そろそろ、その先生っていうのはやめない? 誤解されそうだし」
「えー、でも笛の先生じゃん」
瑠璃は楽しそうに言ってストールを肩に掛け、最近伸ばしているらしい髪をその下から出した。微かな芳香が賢吾の鼻に届く。
「あ、それじゃ、賢吾さんって呼んであげようか?」
「山南さんがおすすめだよ」
ぽんぽんと瑠璃の頭を撫で、賢吾は歩き出す。屋台を見て回る約束をしていたのだ。
「子ども扱いしないでよ」
憤慨したらしい瑠璃がぷりぷりしながら彼の隣を歩く。
お互いが繊細に大事に求めあう様に感動…
他の相手でも良いような題材では、気持ち良く読めませんが、益田氏作品は「その人だからこそ」で心に沁みます。男性向けではありますが、女体を大事にしている様も美しいです。
魚月 さん 2020年11月9日