陽炎 (Page 2)

 身動きができない彼を娘は苦労して引っ張ってくれ、何とか生垣から脱することができる。しかし、足元は炙った鉄板のように熱く、とてもではないが座っていられない。気力を振り絞ってふらふらと立ち上がり、清一朗は未だに揺れている世界の中へ足を踏み出す。

「危ない」
 礼を言おうと娘へ振り返っただけでよろめいた清一朗に手を出し、娘は存外勝気そうな声音で咎めた。
「少し休んでいらして」
 やたらと熱いくせに水底のように頼りない足元を確かめつつ、彼は娘に手を引かれる。先程突っ込んだ生垣の近くには木戸があり、そこを潜って庭先へと通された。庭には飛び石と空っぽの物干し、若い松の木がある。打ち水がされた気配だけがうっすらと取り残されていた。

 手を引かれ、清一朗は娘が座っていた濡れ縁へと場所へ腰を落ち着けた。
 娘は彼に団扇を渡し、どこかへ姿を消してしまっている。
 意識を濁らせる熱を逃がそうと、清一朗は手渡された団扇を揺らす。団扇の骨がプラスチックではなく、竹製であると手触りで知れた。

 白っぽくなった真夏の昼時。
 座っている縁側の内側に影か落ち、そこだけ異世界のように区切れている。

「どうぞ」
 声をかけられて視線だけようよう動かせば、水がなみなみと注がれた大ぶりの湯飲みが差し出されていた。それを受け取り、清一朗は喉を鳴らして一気に水を飲み干す。喉が渇いていたことすら意識していなかったが、喉奥に触れた途端強烈な飢えに襲われる。
 口の端から零れた水を手の甲で拭い、清一朗は一息ついて娘に湯飲みを返した。

「ありがとう」
「いいえ」
 礼を言うと、娘ははにかむように笑って湯飲みを受け取る。そして、踵を返して家の角を曲がり姿が見えなくなった。
 彼女の後姿を見送った清一朗は同い年ぐらいだろうか、と輪郭を取り戻し始めた意識の端で考える。

 しばらく日陰で休んでいると次第に体から熱が逃げていくのを感じる。団扇の柄が涼しげに泳ぐ金魚だと知る余裕も出てきた。
 その余裕は微かな疑問を彼に抱かせる。手の中にはあるのは団扇だけ。
 あっ、と思い立ちあがるとタイミングを見計らっていたかのように、娘が両手で西瓜を持って現れた。慌てて清一朗は駆け寄り、娘の手から西瓜を受け取る。ずっしりと重たい西瓜を手放して、心なしか彼女の顔がほっとしたように見えた。

「少し割れてしまったみたいで……」
 彼女の言葉通り、路面に無防備に落下した西瓜の一部が割れてしまっていた。派手に割れているわけではなく、身内で分け合うのなら問題ない程度である。

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