陽炎 (Page 9)
「ところで、あんたは良い人はいないの?」
「……いないよ」
「無理強いはしないけどね、年取ってから一人はキツイわよ」
「一人の方が良かったよ」
「え?」
「何でもない、外の空気吸ってくる」
「早く帰ってきてよ」
母親に生返事を返し、清一朗は庭へと逃れた。庭には歳経た松の木が手入れもされず枝を伸ばしている。同じように手入れのされていない生け垣が途切れることなく庭を囲っていた。
飛び石を渡り、清一朗は薄汚れた濡れ縁に腰を下ろす。
頭が混乱していた。
一体何が、どうなっているのか、誰かに説明を求めたい気分だった。
ポケットから古びた写真を撮り出して見つめる。そこに写っているのは、やはり清子だ。忘れられない面差しがそこにある。
鼻の奥がつんと痛む。いい年をして泣き出しそうになっていた。
頭を振って清一朗は自分の妄念を振り払おうと努める。たまたま写真の人物が似ていただけだと。
濡れ縁から立ち上がり、彼はそれでも写真を手放せずに俯いたままポケットへ戻した。
そして、顔を上げて硬直してしまう。
先程までどこにもなかったはずの物がある。
木戸があった。幾度となく、清子に招かれた木戸が。
ふらふらと熱に浮かされたように清一朗は木戸へ向かう。震える手を伸ばしかけ、途中で止めてポケットに手を突っ込む。
写真を取り出して見つめる。
会いたい。忘れ得ぬ面影を、体温を、これまでの人生でずっと求めていた。
「ごめん」
その言葉は取り残すことになる両親に宛てたものか。
それとも待たせ続けた清子に向けたものか。
陽炎のように揺らめく姿を追い、ついに清一朗は自ら手で木戸を開けた。
(了)
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