幽世にて出会い、契る二人の先行きは
実父に殺されかけ、命からがら逃げだした蓉子(ようこ)。そんな彼女は気づけば見知らぬ屋敷に辿り着いていた。その屋敷にいた男は、蓉子と夫婦になると言い出して……。
蓉子(ようこ)は、その屋敷を見た時、映画のセットかもしれないと思った。
古い古い屋敷。
長く続く土塀とその上に乗った瓦屋根。奥に聳えるのは広い平屋の屋敷で、前庭から飛び石で玄関まで歩いていく。飛び石を渡る最中に奥庭へ目をやれば、白い玉砂利が敷かれており、変わった形の石が所々に配置されて隅には松が植わっていた。
あまりに静かで霧に包まれた屋敷には、まるで人の気配がない。
玄関から中に入るのは躊躇われ、蓉子は庭へ足を踏み入れた。
じゃりじゃりと靴の下で玉砂利が鳴る。それを聞きながら庭を横切り、磨き抜かれた濡れ縁へと辿り着く。すっかり飴色になったそこへ腰を下ろし、白く霞む空をぼんやりと眺めていた。
どれほどの時間をそう過ごしていたのか、いつの間にやら背後に誰かが立っていたのである。
文字通り飛び上がるほど驚いた蓉子は平身低頭し、侵入したことを詫びた。
「すみません」
「いや、気にする程の事でもない」
蓉子を縁側から見下ろしているのは、偉丈夫だった。2メートル近い身長をしており、真っ白い蓬髪が腰まで届き、獅子のように厳めしい面を彩っている。
奇抜な髪色と時代劇のような身なりに、やはりここは撮影用のセットなのだと蓉子は思う。そのことを男に話すと、男は眉間に皴を寄せ、ゆるゆると首を横に振った。
「此処は幽世と現世の間のような場所だ。時折お前のような者が迷い込む」
「えぇ……」
よく分からないことを言われ、蓉子は流石に途方に暮れる。
だが、彼女は致し方なし、と現実を受け止めた。
「わたしって、死んだんですか?」
「それは俺が知るところではない」
なんとも微妙な言い回しに蓉子は困惑してしまう。
だが、男の言うことがあながち出鱈目でもないのだと、周囲を歩いてみてなんとなく実感できた。
とにかく周囲には濃い霧が立ち込め、どれだけ真っすぐ歩いても、この屋敷に戻ってきてしまう。それに空も曇っているわけでもないし、かといって晴天でもない。青く塗り忘れた書き割りの背景のように動きがないのだ。
「現世に戻りたいか?」
どれぐらいの時間が経ったのか分からなくなった頃、男が重々しい口振りで蓉子に問うた。
いつの間にか隣合って座っていた蓉子は、ちらりと男の横顔を盗み見る。高い位置に顔があり、目玉だけを動かしてみるのは少しつらかった。
ぼんやりした起きているのか、眠っているのか判然としない表情だった。それは起きたまま夢を見ているようで、蓉子に教科書でちらりと見た異国の神像を連想させる。
視線を庭に戻し、蓉子はからりとした口調で言う。
「いやぁ、別にって感じですね」
「そうか」
ここに来る前のことを蓉子は思い起こす。
自分の馬乗りになって首を絞める父親の形相がありありと眼前に浮かぶ。
助かったのは運が良かった。
枕元に置いてあった読みかけの本で父親の顔面を強打し、怯んだ隙に家を飛び出したのである。着の身着のまま、寝間着姿で靴も履かず、文字通り死に物狂いで駆けていた。
そして、気付けば何処とも分からぬ霧の中をさ迷い歩き、この屋敷に辿り着いたのである。
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