奇妙な依頼

・作

散歩を趣味にしている篤史(あつし)。そんな彼は、散歩の最中に雨宿りをする。そして、招き入れられた家の中で、その家の中にいる女性とセックスをするようにという奇妙な依頼を受けるのだった。

ランニングはやめた。
 辛いばかりで、達成感もなにもない。
 代わりに篤史(あつし)は、ぶらぶらと気ままに歩く散歩を続けることにした。ウォーキングのような運動めいたものではなく、気ままに歩き回るだけである。
 
 自分の住んでいる町など、じっくり眺めたこともない。だからこそ、少し顔を上げてゆっくり歩くだけで、色々と見つけることができる。春先に桜の木を見つけたり、かまぼこみたいな形の家を見つけたり、と案外飽きずに続けていた。
 
 その日、篤史はいつものように気ままに歩き、現在地を見失っていた。
 迷うことも散歩の楽しさだが、あいにく天候が崩れ始めている。ちんたらしていると、住宅街の真ん中でずぶ濡れになってしまうかもしれない。そう思って勘を頼りに歩き出したが、気付けばどん詰まりに辿り着いている。
 
 いよいよ空模様は怪しい。
 さあ、いつ土砂降りにしてやろうかと、雨雲が舌なめずりをするように雨粒がぽつぽつと篤史の上へ落ち始めた。
 
 アスファルトが雨に濡れた時の匂いが辺りに充満していく。
 篤史は散歩をする時には身軽さを一等大切にしているので、持ち物は財布、スマホ、自宅の鍵ぐらいしかない。ハンカチぐらいは持つべきだったか、と益体もないことを一瞬だけ考えた。しかし、そんな考えを洗い流すかのように、雨は勢いを増して地面を叩く音を激しくする。
 
 雨音に追い立てられ、彼はどん詰まりの軒下に駆け込んだ。
 気休め程度に濡れた場所を払い、一息ついた篤史は周囲を観察する。どうやら自分は、いわゆる高級住宅街に迷い込んだようだと分かった。背の高い塀に囲まれた家が連なり、篤史が雨宿りをしているのは、ガレージかなにかの前らしい。
 
 それにしても、と彼はシャッターをまじまじと見つめる。
 きっとこの家のガレージだけでも、自分が住んでいる築四十年のボロアパートよりも広くて快適なのだろうな、と思うと苦笑が漏れた。
 
 そうして弱まる気配のない雨脚に困り果てていると、不意に篤史の背後でするするとシャッターが上がり始める。軒下であたふたして、彼は隅っこに身を寄せた。
 
「どうされました?」
 シャッターの向こうから現れたのは、身なりのいい紳士だった。三つ揃いのスーツを着こなし、灰色のものが混じった髪を丁寧に撫でつけている。篤史よりも年上だろう紳士は、丁寧な仕草で彼をガレージに招き入れた。
 
「とりあえず、こちらへ。そこでは濡れてしまうでしょう」
「すみません。雨宿りをさせて頂いていました」
「なるほど、そういうことでしたか」

 紳士は納得したらしく、柔和に微笑んで見せる。
 それを適当にいなし、篤史はガレージの中を観察した。散歩を始めて以来、自分がいる場所を観察するのが習い性になっている。
 

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