見知らぬ自分と妻 (Page 9)
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「これは……。一体、何が」
楠田は映像の再生が終わったノートパソコンのディスプレイを見つめたまま、呆然とした様子で口走る。
「あなたが覚えていた違和感の正体は、これです」
「だから、これは一体何なのですか?」
この異常事態の元凶とでも言うように楠田は、無表情な田幡の顔を睨む。しかし、相手の整った顔には微塵の動揺も見られない。
「少なくとも、あなた自身ではないですね。この映像が撮影された時刻には、あなたはいつものように働いていた」
それならば、今まで画面に表示されていた見慣れた顔は、誰だったのか。
楠田は足場がぐにゃりと歪んでいくような心許なさを覚える。その感覚は暗闇に怯えていた幼い頃以来の心細さだった。
無性に楠田は妻の顔が見たくなる。だが、本当に、彼女は妻なのだろうか、という疑心が彼の胸中を濁らせた。
「これ、見えますか」
田幡は不意に指を左右に振り出した。
立てた人差し指を素早く左右に振っているので、白っぽく指の残像が楠田の視界にちらつく。
「あなたと私がこの映像で見ているのは、この指の残像みたいな存在です。動体視力が良ければ、残像ではなく指が左右に動いているのを捉えられる」
相手の意図が分からず、楠田は眉根に皴を寄せたまま、田幡の言葉の続きを待った。
「霊能者とか、拝み屋とか、そんな連中は動体視力に優れていて、動いているのが指だと分かっているだけなんですよ」
「……だから、何なのですか?」
「残像が生まれるには、指が動くだけのスペースが必要です。そのスペースが、胡散臭い言い方をすれば心の隙間です」
「……」
拝み屋など、胡散臭い人間の代表格のようなものではある。その拝み屋から胡散臭いとお墨付きまで貰って、楠田は鼻白む。
「魔が差すなんて言葉がありますが、差す隙間に潜り込んだものを昔は妖怪だの魔物だのと呼んできたんですよ」
「あれが、妖怪だって言うんですか?」
「その方が分かり易いでしょう?」
田幡はあっさり言い放つ。
「名前がついて、その中身についての注釈がある。それだけで、ああいうものには簡単に対処ができるんですよ」
「……どうすればいいんでしょう」
「あなたにしてもらうことは二つです。まず、お宅に設置したカメラの費用を支払ってもらうこと、それから奥さんと話をする。これだけで十分です」
「妻と話を?」
「お宅に居ついていたのは、ぬらりひょんという妖怪の類ですよ。人の家に勝手に上がり込んで飯を食うという迷惑な奴です」
「飯を食うだけじゃない。あいつは……」
妻と寝ていた。
楠田は胸の奥の不安が怒りと失望に塗り潰されていくのを感じた。
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