眠り姫に聞こえないように (Page 6)
「いっぱい出てる……」
恍惚とした表情で絹代は胸にかかった精液を掬い取った。そして、それを口元に運び、舌に乗せる。
彼女の淫靡な仕草に、藤一郎は初めて女を、絹代を抱いた時のことを思い起こす。
初めて踏み入った女の部屋で、スプリングの死んだベッドの上で絡み合った。互いの若さに任せた性交というには、あまりにも気怠い雰囲気だった。忍び込む赤い日の光と、女の腹を汚した自らの精液のコントラストが藤一郎の脳に記憶されている。
追憶から現実に立ち戻った藤一郎は、絹代の体を拭き、着替えさせた。それから、うとうとし始めた彼女をベッドルームへと連行し、ベッドへとぶち込んだ。
暗い部屋の中で寝息を立てる絹代の寝顔を見ていると、こんな関係が今も続いていることに一抹の苦さを覚える。
話をするようになったきっかけは下らないことだった。名前だ。二人は古めかしい名前をしていたので、それがきっかけだったのである。
そして、絹代はこの名前が似合うような年寄りにはなりたくないと、吐き捨てたのだ。
古めかしい名前が似合うようになるまで、長生きしてほしい。そんな両親からの祈りが込められた名前。偶然にも二人の名付けの動機は一緒だったのだ。
当時の絹代は、周囲から浮いていた。
原因は不眠だ。
眠れず、常に苛々して、それを隠そうともしなかった。
「性格は、大分丸くなったよね」
頬にかかった髪をどかしてやりながら藤一郎は独り言ちる。鬱陶しそうに絹代は彼の手を払う。
苦笑して手を引っ込めた藤一郎は、座っていたベッドか腰を上げる。
自分の存在は、胃痛の心配がない睡眠導入剤程度のもの。
内心で言い聞かせ、藤一郎はベッドルームを出て行く。
薬でも緩和できない不眠は、不思議なことに藤一郎とのセックスで和らいだ。
彼女にとって長い夜を過ごすためのヤケクソの火遊びに過ぎなかった藤一郎とのセックスは、大学も別れた今となっては唯一ともいえる縁となっている。
「僕は、君のことが好きだよ」
眠り姫に聞こえないように呟いて、藤一郎は誰もいないリビングのソファに横になった。
いつか清算される関係だと分かっていて、それでも彼は眠りへと逃げ込む。
目を閉じると、現実はゆっくりと眠りの波間に遠のいていった。
(了)
良い話だ……心があったまる
もちち さん 2023年3月11日