熱を求める (Page 2)
「わたしの両親が亡くなったとき、あなたのお父さん――先生が色々と助けてくれたの」
今度は簡単に納得できた。誠一郎の父は教師をしており、そのときの教え子だったのだ。彼自身は親が務める高校には進学など考えなかったし、教師としての父の姿など思い描くこともなかった。しかし、立派な教師だったことは参列者や目の前の元生徒の様子を見れば分かる。
「夫を亡くして帰ってきたときも、親身になってくださったのよ」
「そうですか」
思わずおざなりな返事を誠一郎はしてしまった。どれだけ立派な人格者で教師であろうが、彼にとって父は父でしかない。
「疲れてるのね」
誤魔化そうと誠一郎がまごついているうちに、貴子は寂しそうに笑って彼の背中を撫でた。
「少し座ってみたら?」
「すいません」
小さな声で謝罪した誠一郎を彼女は居間へと連れていき座らせた。居間には小さなちゃぶ台と座椅子がふたつ。それにテレビがあるきりで、最後に帰省したときとなにも変わらない。
座ったことで、どっと疲労が押し寄せてきた。重たくなった手足と痛む背中が眠らせろと訴えている。
そのまま眠気に耐えながら待っていると、貴子がお盆を持って戻ってきた。お盆の上には湯飲みがふたつ乗っている。湯飲みを誠一郎の前に置き、自分は対面に腰を下ろした。そこには座布団もなにもない。
「あの、よかったら座椅子を使ってください」
「だけど、この場所」
「大丈夫。父も文句は言わないです」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
隣り合う格好で座ると、二人の視線は自然となにも映っていないテレビに向かう。かつてはこうして父と息子が、この居間で過ごしていた。
二人でぼんやりとお茶を飲む。いつ、どこで、父が購入したものなのか誠一郎には見当がつかなかった。そもそも好みなど知りもしない。
本当になにも知らないのだと、お茶を飲みながら誠一郎は実感した。なにを好み。なにを嫌い。どんなことを思い暮らしていたのか、彼は何も知らない。親子などこんなものだと、深く考えてもみなかった。話すらろくにしなかったのだ。
「そうしてると、本当にそっくり」
貴子が寂し気にいう。
「似てますか? そんなに」
「今もそっくり」
くすくすと笑われ、誠一郎は持っていた湯飲みを下した。
彼女が誠一郎の父のことを思い出し、その不在を寂しく感じられることが、彼は少しだけ羨ましくなる。
自分には思い出がない。父親との記憶といえば、こうして二人で静かに座っていたことぐらいだろうか。誠一郎は子どものころから、どこかへ遊びに行きたいとねだったこともなかった。
父と息子。二人で静かに過ごした時間ばかりが、彼の中に記憶として堆積している。
「俺は」
ぽつりと誠一郎は言っていた。
「父とどこかに出かけた記憶とか、ないんですよ。旅行にでもつれていけば、よかったのかもしれませんね」
これは懺悔なのだろうか。疲労と眠気でぼんやりし始めた頭で誠一郎は思う。
「本当にそっくり」
「なにがですか?」
「言ってること」
「喋り方、そんなに似てますか」
今度は誠一郎が苦笑する。しかし、意外にも貴子は首を横に振った。
「ううん。どこか一緒に行けばよかったとか。そんなこと先生も言ってた。あんまり思い出とか作くれなかったって」
「そんなこと言ってたんですか」
「ええ」
彼にとって本当に意外だった。なにしろ誠一郎は、父をひとりで完結している人物だと思っていた。
そういえば女性と関係を持っても、私が必要ないと、いつもそんな言葉で誠一郎は別れを告げられていた。似た者同士。いや、似た者親子だったというわけだ。
最早、笑うしかない。似ても似つかない父子だと、誠一郎は長年思い込んでいた。けれど、他人から見たらずいぶんと似ていたらしい。仕草や考えていたことが、たまたま一致しただけかもしれない。
だが、もっと話をしていたら違ったかもしない。
もう少し、父のことを聞こう。自分の知らない父の姿を誠一郎は貴子の中に見つけられる気がした。
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