悲劇のヒロインはどこにもいない (Page 3)
ちらりと伊織が横目で見た馨は、色とりどり鳥を憧憬と諦念の入り混じった目で見つめていた。そんな彼女と伊織は手を重ねる。細くて冷たい手は強張っていた。彼の手も同じぐらい冷たく頼りないが、それでも馨は指を絡める。
「普通にさ、出会いたかった」
「普通って?」
伊織が尋ねると自嘲気味に彼女は口の端を歪めながら言う。
「学校の廊下とかで擦れ違ったりして、偶然に」
「学校違うじゃん。馨は女子高なんだから、会えるわけがない」
「そうかもね」
「だから、これでよかった。絶対に」
絡めた指を離し、伊織は馨の手を強く握る。少しは暖まるだろうか。頭の隅で伊織はそんなことを考えた。しかし、馨は冷たいままの手を自分の膝の上に引き寄せる。
二人の視線は交わらないままだ。
「……お母さん、今日も遅いってさ」
「子どもを二人も養ってるからな。受験が終わったら、またバイトを探さなきゃ」
「あたし、一人暮らししたいな」
「うちから通える大学じゃなかったっけ?」
「そうだけど……」
「一人暮らしにいくらかかるか知ってる?」
「知ってるけど」
だんだんと馨の口調はトーンダウンしていく。
溜息を吐き、伊織は眼鏡を外した。目頭を揉んで気を落ち着かせる。
「僕と、一緒にいるのが嫌になった?」
すぐに答えは返ってこない。せっかく馨が蹴散らしてくれた沈黙が再び二人の間に堆積していく。
「嫌になった」
ぽつりと馨が吐き捨てる。
胸の奥にある内臓以外のなにかをぎゅっと伊織は掴まれた気がした。一瞬だけ世界から色が消え失せ、ぐらりと揺れた。
しかし、伊織は机の端を強く握り、それらに耐える。世界は揺らいでなどいない。自分が揺らいだだけだと、必死に言い聞かせて倒れないようにした。
そんな彼に見向きもせず、馨は言葉を接いだ。
「あんたと、あたしが姉弟になんかならない世界で生きたかった。偶然出会って、あんたを好きになりたかった」
恐る恐る彼女を見ると、険しい顔をして胸を鷲掴みにしていた。自分の見ている世界を呪っているような、怒りに満ちた光が瞳に満ちている。
「僕はそう思わない」
からからに乾いた口で伊織はやっとそれだけ言える。
それからしばらく二人はまたしても黙り込んでいた。
「なんで?」
かさついた声で馨が問う。
「僕らの今の出会いだって偶然だ。これ以上なんて望めない」
「もっと普通でいいじゃん」
「僕らにはこれが普通だし、現実は変わらない」
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