夜よ、どうか明けないで (Page 4)

「あれ」

 死んだように眠っている住宅街の向こう側を小槙が指さした。彼女が示した先には黒々とした塊がこんもりと盛り上がっている。それは街の中心部から外れたこの住宅地のさらに外側にあった。

「なんだろう」

 良太郎は眼鏡の位置を直し、目を細める。しかし、黒い塊としか彼の目には捉えられず、詳細ははっきりとしない。良太郎は眼鏡を外して瞼を緩く揉む。近頃はますます視力が落ちている。

 内心で溜息を吐き、眼鏡をかけ直した良太郎は小槙の横顔を盗み見た。

 じぃっと闇を透かすかのように彼女は彼方にある黒い塊を凝視している。

 その横顔を見ているうちに、ふと良太郎は幼い頃を思い出した。そして、訊ねていたのだ。

「行ってみる?」

「え?」

「子どもの頃みたいに」

 子どもと大人のあわいにいる彼らにとって、十年以上という歳月は遥か昔のことのように遠い。その過去も時間の流れの中でどろりと溶け崩れ、糸を引くように続いている代物だった。そして、いつの間にか大人になる準備が進められ、自由だったはずの幼い時間は思い出という言葉で押し固められている。

「大丈夫かな?」

 不安そうに小槙は良太郎の顔を見た。

「たぶん」

 良太郎は小槙の手をそっと握る。幼い頃にそうしていたように、彼は冒険に小槙を誘う。

 しばらく迷っていた彼女だったが、静まり返った街と遠くに見える黒い塊をじっと見つめた後、こくんと頷いた。それは小槙が冒険に旅立つ決心をした時の仕草だった。

 時間が逆巻き、本当に幼い子どもに戻ったように二人はそろりと家を抜け出す。二人以外には誰もいない小槙の家だが、足音を殺して、そっと二人は夜の住宅街へと踏み出した。

「外に出たの、久しぶり」

 小槙が小さな声でそう言う。上着のフードをすっぽりと被っているせいで、良太郎には彼女がどんな顔をしているか分からない。覗き見ることもできず、彼は自宅を見上げた。明かりはなかった。どの窓にもカーテンが引かれ、死んだように夜に沈んでいる。

「四年ぶりぐらい?」

 棺桶のような我が家から目を放し、良太郎は暗い街路を見据えて話しかけた。

「それ、ぐらいかな?」

「高校受験の前ぐらいだったよね?」

「そのぐらいかも」

 あはは、と小槙は明るく笑う。そんな開けっ広げに笑うところを見たのは久しぶりだった。良太郎はつられて笑い、二つの方向をそれぞれ指さした。

「どっちがいい? あっちとこっち」

 街灯に照らされた明るい道と、まばらな暗い道。

 小槙は躊躇うことなく、暗い道へ足を向ける。

「どっちのルートでも行けるかな?」

「方向は、まあ、一緒じゃないかな」

「えー、頼りなぁい」

 振り返った小槙の眉根を下げた顔に思わず笑ってしまった良太郎は、彼女の細い手を握って歩き出す。

 二人が歩いているのは住宅と住宅の間にある細い小路だ。私有地とも公道ともつかない切り取り線のような、そんな空白地帯だ。殆どの場合は猫が歩ける程度の隙間しかないが、造成の都合なのか、それとも権利の関係なのか舗装されただけの小路があちこちにある。

 そんな小路を幼い頃の良太郎と小槙はあちこち探検していた。

 まだ出来上がったばかりで、時には建築途中の建売住宅が並んでいる街を二人で地図を作り、探検していたのである。その頃は夕食の匂いに誘われて日暮れ時には帰宅していた。

 今は入り込んでくる街灯の灯りを足元に従え、幼い頃の記憶を頼りに二人は小路を進む。

 幼い頃に二人で書いた古地図は所々で虫食いになっていて迷いもしたが、良太郎と小槙は街はずれまで誰にも会うことなく辿り着いた。

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