夜の底から
同郷の祐悟(ゆうご)と佐奈美(さなみ)は、偶然の再会を果たす。幼少期に両親から傷付けられ、佐奈美に救われた祐悟は、現在の佐奈美が自分と同じように傷つけられていることを察知し、「遠くへ行こう」と持ち掛けるのだった。
季節の変わり目になると、故郷のことを思い出す。
日の長さ、空の色合いや虫の声、金木犀の香り。
そういった諸々のものが祐悟(ゆうご)の記憶を鈍く引っ掻き、もう忘れたと思っていたものを浮上させる。浮き上がった記憶はうっすら現実と重なって、なくなった故郷を幻視させるのだ。
現実の街並みと、鄙びた故郷の二重写しの世界を祐悟は、スーパーのビニール袋を提げて歩いていく。
スーツ姿のサラリーマンや祐悟と同じようにスーパーの袋を提げた人達の合間に、小さな幻影がちらちらと走り回っている。子供だ。小学生ぐらいの男の子が少し背の高い女の子を追いかけていた。
幸せだった昔日を思い起こし、彼は現実感を欠いて歩いていく。
そんな調子で歩いていたからか、祐悟は人とぶつかってしまった。緩やかな歩調で彼は歩いていたので、さほど衝撃は感じない。しかし、相手は不意を打たれた格好だったため、よろけて手に持っていたものを落としてしまう。
「すみません」
急速に現実感を取り戻した祐悟は咄嗟に謝罪する。だが、そんな彼の声音はどこか感情が薄い。他人事じみた誠意の表れていない調子だったが、ぶつかられた相手は怒る様子もない。
「あ、いえ」
か細い声で相手は言って、落としたものを拾おうとしてしゃがみ込む。つられて祐悟もしゃがんで落としたものを拾い集める。現実を取り戻した視界の中にあるのは、ありふれた日用品や食品だった。
「えっ?」
祐悟が拾った食品を受け取った相手は、驚いた様子で彼の顔をまじまじと見つめている。
「ユウちゃん?」
ユウちゃんというのは、祐悟の子供の頃の渾名だ。そして、その渾名で呼んでくれた人達は限られている。
彼もじっと相手の顔を見つめた。
長い黒髪に縁どられた細面と、少し下がった目尻にある黒子。大人になって面立ちや雰囲気は変わっているが、思い当たる人物が祐悟の頭の中に浮かび上がる。
「さっちゃん」
「やっぱり、ユウちゃん」
困ったように眉根をハの字にして、さっちゃん――佐奈美(さなみ)は笑う。その笑い方にも彼は憶えがあった。
「久しぶりだ」
祐悟が立ち上がってそう言うと佐奈美は少し俯いて、そうだね、と呟いた。黒いカーテンのように彼女の髪が細面を隠しており、表情は読めない。
隠れた面差しに、先程まで祐悟が見ていた幼い幻影がだぶっている。
しかし、現実にあるのは成長した女性だ。
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