夜の底から (Page 2)

 少し色の褪せたTシャツと裾のほつれたジーンズという身なりの彼女は、肉付きが薄いものの女性らしい円やかな曲線に体の輪郭を変化させている。昔と変わらず白い肌は、さらに日の光を知らない深海の生き物のように透明感を増していた。

 だが、最も彼女が変化したのは、その身に纏う雰囲気だろう。
 記憶の中にある佐奈美は、色こそ白いが活発で闊達な子供だった。長じた今では、日陰で俯きながら咲く花のように寂莫とした美しさを湛えている。

 時間は人を変えるのだと、祐悟は思った。
 彼は俯いたままの佐奈美へ、どう声をかけるべきか少しだけ迷う。子供の頃はこんなふうに迷うことなどなかった。自然と言葉が溢れ、彼女と時間を共有していたというのに。

「少し……、話さない?」

 細い声で佐奈美がそう言った。
 相変わらず俯いたままで、相手の顔色を窺うような声音は記憶の中にある佐奈美との印象とかなり差がある。

「いいよ。どこで話す?」

 祐悟は自分でも意外なほど彼女の変化に戸惑わず返事をした。
 佐奈美はほっとした様子で顔を上げ、緩やかに歩き出す。
 隣に並んで祐悟も歩調を合わせる。

 緩やかに流れていく街並みは、子供の頃に過ごした故郷とは何もかも違う。人が行き交い、田畑はなく、夕方に長い影を伸ばすのは山並みではなくビルの群。人の手に成る造形が二人を取り囲んでいる。

「久しぶりだね」
 佐奈美が前を向いたまま言う。ちらりとその横顔を見てから祐悟は返事をした。
「本当にね。十年ぶりぐらいになるのかな」
「そのぐらい、かな?」
「さっちゃんは、里帰りはしてる?」
「……ううん、全然」
「そっか」
「結婚したから、なかなかね」
「そうなんだ」

 素っ気なく祐悟が答えると、不意に佐奈美はおどおどし始めた。怯えた眼差しをちらちらと祐悟に向け、落ち着きをなくしている。明らかに彼女は祐悟の顔色を窺っていた。
 その態度から祐悟は彼女が歩んできた年月がどんなものであったのか、それを垣間見ている気がする。

「ねえ、さっちゃん」
 相変わらずの乾いた声で祐悟は佐奈美に問いかける。
「さっちゃんは、いつも僕を助けてくれたよね?」
「そう、だったかな」

 佐奈美が目を逸らし、何もない地面へと視線を投げ捨てる。彼女の声は祐悟のものと同じように乾いていた。だが、それ以上に冷たく、突き放すような諦観が含まれている。
 表情や声音に含まれた微かな情動を敏感に感じ取った祐悟は、あえてそれらを無視して言葉を接いだ。

「そうだよ。だから、僕はさっちゃんが助けてほしいって言うなら、助けてあげたい」
「……ありがとう」

 薄っぺらな感謝の言葉が二人の間を漂い、届くこともなく路傍に落ちる。それを踏みつけるように一歩、祐悟は佐奈美に近づいた。

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