湯煙に理性は溶けて
恋人にフラれた英彰(ひであき)は傷心旅行に行き、宿泊した宿の混浴温泉で転んだ女性を助ける。助けた女性の防備な様子にしばらくご無沙汰だった英彰は欲情してしまい、つい手を出してしまう。戸惑いながらも嫌がる様子のない女性に英彰は欲望をぶつけてしまう。
宿の駐車場は小さく、駐車するのにひどく苦労した。運転の疲れで英彰(ひであき)は少しの間ぐったりしていたが、目頭を揉みながら外へ出た。山間の夜気はひんやりと冷たく、季節が秋へ移り変わっていることを実感させる。
彼は意外と痛む腰を揉み、凝り固まった肩を回してから荷物を引っ張り出す。荷物はリュック一つだけで、その少なさに英彰は溜息をつく。
恋人と一緒に久々の旅行だと意気込んでいた。だが、不意に告げられた別れで独り旅になってしまったのだ。彼女と一緒に旅行に行きたいと、休日の出勤だって進んでやった。有休だって、この日のために使わずにいた。
それがすれ違いの原因だろうか。それとも、彼女の気を惹くもっと魅力的な男が現れたのだろうか。
今回の旅行で感触が良ければ本当は結婚を申し込もうと考えていただけにショックは大きい。
思わず天を仰ぐ。
都会では見られないような数の星が、それこそ数え切れないほどある。
「望遠鏡、持ってくればよかったな」
独り言に虚しくなり、とぼとぼと宿に向かう。
宿は古民家を再利用したこじんまりとした佇まいで、大きな旅館にあるよそよそしさは薄い。子供の頃に行った田舎の家のような、そんな素朴さを感じる。
中へ声をかけると、すぐに従業員が現れた。恰幅のいい初老の女性で、割烹着姿で笑っているところが英彰に田舎の祖父母を思い起こさせる。
「すみません、渋滞につかまちゃって」
「ああ、大丈夫ですよ。事前に連絡貰えましたしね」
宿の中を案内しながら従業員は気さくな雰囲気で英彰に言う。
「どうします? お食事はすぐにできますけど、疲れてるんならお風呂にします? うちの温泉はいいですよ」
「じゃあ、温泉入らせてもらいます」
「旦那には言っときますから、食べたくなったら食堂まで来てくださいね」
「ありがとうございます」
早速着替えを荷物から出し、英彰は温泉へと向かった。小さな荷物だけで独り旅をしていると、学生時代の貧乏旅行を思い出す。星を観ようとあちこちへ出向いたものだ。
恋人と出会ったのも星がきっかけだった。だから、この近くにある観測スポットへ連れていきたかったのだ。
胸の中に募る寂しさを湯船で溶かしてしまえたら。そんな益体もないことを考えつつ温泉に向かう。
服を脱衣所のロッカーの中に放り込み、英彰は浴場に足を踏み入れた。湯気が夜気を白く濁らせ、温泉独特の臭いが漂っている。
「おお……」
思わず感嘆の声を上げた英彰はさっさと体を洗い、湯船につかることにした。
タオルを頭の上に乗っけて、手足を湯船の中で思い切り伸ばす。頭上見れば星が瞬いている。
「そういや、混浴だったな」
恋人と一緒だったら。そんな思いが頭の中に浮ぶ。苦い思いと未練を振り払いたくて来たのにどうしても考えてしまう。
「どうせ、じいさんか、ばあさんしかいないだろうけど」
苦い思いを吐き出すように冗談めかして口にした。余計なことを考えるだけ落ち込みそうなので、強いてなにも考えないように湯船へ浸かっていると、不意に物音がした。脱衣所と浴場を隔てる扉が開けられたのだ。
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