今はまだ夜明けまで遠く

・作

学生時代に肉体関係にあった浅見(あさみ)と内田(うちだ)。二人はそれぞれ結婚して以来の再会を果たす。お互いに満たされず乾いた想いを抱えていた浅見と内田はスリルと肉欲を再び貪り合う。

 紫煙がゆっくりと消えていく。ぼんやりとその様を眺めていた浅見(あさみ)は、氷が動く音で我に返った。

 テーブルにある灰皿の上で吸いかけの煙草が燃え尽きようとしていた。それを見て不意に自分も煙草を吸いたいという衝動に駆られる。結婚を機会に禁煙し、もう十年近く吸っていない。

 衝動を誤魔化すため、浅見は持っていたグラスを傾けた。禁煙に成功して以来、初めての喫煙の誘惑に浅見はこめかみを揉んで耐える。

「酔った?」

 かけられた言葉に浅見は苦笑だけで答える。

 彼に声をかけたのは隣に座る女性だ。少し垂れ気味の目と泣き黒子は昔と変わらない。ただ、最後に会った時と違い、今は長い髪が輪郭を柔らかく縁取っている。それに体も肉感的になった。

 浅見と同じく結婚しているが、未だに友人たちは彼女を旧姓の内田(うちだ)で呼ぶ。

 そのまま彼は座っているソファへさらに沈み込むように背を預けた。内田も似たような姿勢になり、二人の視線が離れる。

 浅見たちがいるのは、小さなバーだ。

 カウンター席以外は、彼らが座っているテーブル席だけである。そのテーブル席も二人掛けのソファが二つだけ。単独の常連客が多く、馴れ馴れしくされることを好まない浅見には馴染みのない類の店だ。

 そんな性質の浅見が身近にいても苦痛に感じなかったのは妻と、そして隣にいる内田だけだった。

「内田」

 ぼそりと浅見が呼びかけると、少し間があってから声が返ってきた。

「……何?」

「あいつら、帰ってこないな」

「中で寝てるのかも」

「二人揃って?」

 トイレに浅見と内田は目を向けた。トイレは男女共に利用中である。

「懐かしい」

「何が?」

「学生の時も、あの二人に待たされてた。それに内田って呼ばれるのも、ほんと久しぶり」

 懐かしげに目を細める内田を見て、浅見も思い出そうとする。けれど記憶の輪郭は曖昧になり明確なことは脳裏に浮かばない。楽しかったのはずだが、他人事のように遠くにある。

「やっぱり忘れちゃった?」

「いや、忘れてない」

「ほんとに?」

「君のことは憶えていた」

 酔いのせいか口が滑った。

 浅見は口の中に苦いものを感じながら、空のグラスをテーブルに置く。

 四つのグラスが狭苦しく並ぶ様子に、学生時代のことを少し思い出す。内田という緩衝材がなければ浅見は一人だったと。

「奥さんは、どんな人?」

 誤魔化すように内田は問いかける。どこか宥めるような声音だった。

「よく気のつく人だ。どうして俺と一緒にいるのか分からない時がある」

 思っていても、口にできないことを浅見は吐露していた。どこか乾いた諦めにも似た感情が胸の内にある。

「奥さんも、同じこと言ってるんじゃない?」

「どうだろうな。……君の方は?」

「私? 私は満足してる。これでもしっかりお母さんしてるしね」

「そうか、そうだったな」

 今回の集まりは内田の身辺が落ち着いたことで可能になったのだ。同窓会もどきだ。断る口実がなく、共働きをしている妻も出張に行き、独りでの時間を持て余していた。本来は独りで過ごす時間は貴重だ。誘いを断ってもよかった。

 しかし、浅見はここにいる。自分でも整理できない感情を清算しに来たのだろうか。

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