シガレットキス (Page 3)

「先生」
「先生って呼ぶな。もう辞めた」
「そうなの?」
「そうだよ」
「あたしのこと、憶えてる?」
「……いいや」
「そっか」
「そもそも二年で辞めたからな、教師。憶えてる生徒なんていないよ」
「へぇ、じゃあ、あたしってレアじゃん」
「何が?」
「その短い教師生活で会ってた生徒と再会するなんて、レアじゃない?」
「そうかもな」
 投げやりに答える加藤に女が笑う。
「小野島(このしま)って名前けっこう珍しいんだけど、ほんとに憶えてない?」
「憶えてないよ」
「そっか」
 再び会話が途切れる。

 電車は滞りなく進み続ける。
 そして、駅へ辿り着き停車する。
 加藤が席を立つと小野島も立ち、一緒に電車を降りた。

 駅には駅員以外の姿はなく、改札を抜けると駅前も閑散としている。小野島と出会った街とは明らかに活気が違う。寂れてくたびれ、老いさらばえた街の姿があるのだ。
 半数が既に営業をしていない商店街を通り抜け、少し駅から離れる。すると急に視界が開け、雑草に塗れ、あるいはのっぺりとアスファルトを晒す空き地が点々と現れた。
 空き地の間を縫うように続く道の先に、背の高いマンションがぽつんと立ち尽くしている。

「なにこれ」
 都市計画のとの字もないような光景に、小野島が加藤に訊ねる。
「再開発が途中で止まったんだよ。市長とゼネコンが揃って悪いことしてたから」
「へぇ」

 収益の見込めない半端な土地に改めて投資するような者は現れず、市民も反対した。そして、歪に切り開かれた土地と唯一建設されたマンションだけが取り残されている。

「あれに住んでるの?」
「安いんだよ、家賃」
「幽霊が出るとか?」
「市長が首でも吊ってれば出たかもな」
 下らないことを言い合いながら郵便受けの並んだマンションのエントランスを通り過ぎる。そして揃ってエレベーターに乗り込む。小さな密室は上昇し、微かな浮遊感の後に目的の階層に停止する。

「真っ暗だ」
 共有廊下からの眺めに小野島が感嘆した声を上げた。
 人の灯りが少ない荒涼とした海原のような光景を見慣れている加藤には、なにが感動する要素だったのか理解できない。ただ、ここから落ちれば楽になれるかもしれない、ということをちらりと考えるだけだ。

 自宅の鍵を開け、加藤は小野島を招き入れる。
「うわっ、いい部屋じゃん」
 靴を脱ぎながら小野島が声を上げた。
 いちいち反応が大きい奴だと加藤は思うが、口には出さず、リビングのソファに背広と鞄を投げ捨てる。最後に自分の尻をソファに落とし、天井を仰ぐ。口から出るのは疲れ切った溜息だけだ。

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