コロナ休暇で充電だぁ
コロナウイルス禍のひとつに「イベント減」が挙げられた夏。零細広告会社に籍を置くディレクターの相川邦夫も、のきなみ夏のイベントが中止されて色々な意味で干上がっていた。ただし、邦夫は「感染に気をつけて遊ぶ」事を栄養源に、きょうもデリ嬢とプライベート・セックスを楽しんでいた。それは、来るべき「復活の日」に向けての準備だったのだ!
リモートは性に合わない
相川邦夫は43歳にしては引き締まった体を仰向けにして、デリヘル嬢・ミユキの指示通りに、おとなしくパイズリからの素股、そして、ディープスロートのフェラとマニュアルに沿ったサービスを受けていた。
それから、「これは事務所には内緒ね」と言いながら、ミユキは邦夫の体に跨ってシックス・ナインの態勢で両脚を開いて馬乗りになり、大量のジュースを垂らしていたのだった。
マンコが傷つけられるのと、「本番強要」が多い事から、この事務所ではシックス・ナインを極力禁じていたのである。
それでなくても、緊急事態宣言が明けてすぐの今の時期では、“濃厚接触”だなんだと世間がうるさい。SNSで拡散でもされたら、ますます商売があがったりなのだ…。
邦夫の本職は弱小の広告代理店に所属するイベントディレクター兼コピーライターだった。若い頃は、ロック・コンサートの演出も手掛けていて賞を獲ったりもしていた。
独立して自分の事務所を開設した事もあったが、経営が絡むとなかなか上手くいかずに、3年で潰していた。
その時に離婚もして、クルマも手放してもいる。そうして何もなくなった邦夫に、今の会社の社長が手を差し伸べて、なんとかやっていっているというわけであった。
規模は小さいながら、邦夫が長を務める制作4課(寄せ集めメンバーとも呼ばれるw)は、赤字を出さない程度に奮闘していたのが現状。
それが、このコロナ禍で売り上げがゼロに等しくなり「こんな時こそ」とばかりに、邦夫は放蕩しているのだった。
その晩、邦夫は午前0時頃に、ランダムに選んだデリヘル業者を選んでミユキ嬢を泊っているシティホテルに呼んだのだった。23歳のミユキは、全体的にほっそりとしていたがオッパイは大きくたわわで、ウエストが“きゅっ”と締まった、セックス・シンボルのような体だった。
そもそも、なぜ都内に住む邦夫がわざわざホテルに泊まっていたかといえば、コロナウイルスの蔓延が起因していた。政府の非常事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ仕事の方が通常業務には程遠い状況だったので、邦夫は「寝て・食べて・抱いて」と、怠惰な3泊4日を過ごすために都内某所にある「お忍び専用」のホテルに部屋を取っていたのである。要は「リフレッシュという名の遊び」だ。
もちろん、たまに出社したりリモート会議用にPCとZOOM用カメラも持ち込んでいたが、特に役立っているとは言えず、PCはもっぱら「デリヘル予約」に活用していた。
こう記されると邦夫は、よっぽどの怠け者のように見えてしまうのだが実際は違っていた。PC上に記録を残さない代わりに、頭の中はいつも企画の事でいっぱいだったのである。
なにか良さそうなフレーズや構図が思い浮かんだら、持ち歩いているA4版のクロッキーに、文であれイラストであれ、“アイデアの断片”を、書いて残していたのである。
リモートで会議をするよりも、自分のアイデアを大事にする…こうやって邦夫は、競争の激しい業界にあって荒波をいくつも乗り越えてきたのだった。
その習性は20代の駆け出しの頃から不変で、邦夫の“大いなるルーティン”のようなものだった。従って、いま、この瞬間にシックス・ナインで好きなようにチンコを舐めまわして、好きなように腰を振って快楽のリズムを取っているミユキを眺めながらも、時折「心ここに非ず」という表情をする事もあったのである。
こうしたウイルス不況の中にあっては風俗業界も例外ではなく、ミユキも事務所に電話を入れたら30分で届けられたくらいだ。
だが、通常のデリ業務+“内緒のシックス・ナイン”でイかせてもらった邦夫であったが、根っからの“コーマにスト”なために、今ひとつチンコがスッキリしないのも現実だった。満足できずに、
「明後日まで部屋にいるから、昼間も遊びに来なよ」
と、誘ったら「ステーキ屋さんに連れて行ってくれて、ほんの少し“お小遣い”をくれたらイイよ」
と快諾したのだ。
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