一人と独り (Page 3)

「……今日は、もうお店を閉めましょう」
「いいんですか?」
「たまになら、大丈夫」

 そう告げ、自らドアにclosedと記された札をぶら下げる。

「せっかくだから、食事に行かない?」
「まあ、いいですけど」

 少々面食らって暁彦は頷いた。それから二人は普段通りに手際よく片付けを行い、暁彦は一足先に寝床へと舞い戻る。以前滞在した町で譲り受けた年季の入ったレインコートを片手に、再び階下に降りると小ぶりなバスケットを手にした環が待っていた。

「じゃあ、行きましょうか」

 環は傘を開き、暁彦はレインコートのフードを目深に被って雨の中へと踏み出す。
 レインコートは傘よりも雨音が近い。いつの間にかレインコートの中が雨音で満ち、かえって町が静まり返っているように感じられた。

 二人は並んで歩くことはなく、環の後ろで黙々と暁彦が足を動かしている。そうして環の後ろ姿を見ながら、暁彦は自分達が次第に町から離れていることに気付いた。

 背の高い建物が減り、景色の中に人工物が減っている。それでも足元が舗装路であることは、文明の中にいるのだと暁彦に実感させた。そして、人や物に束縛することを嫌いながらも、結局はその恩恵に与っている。

 暁彦のそんな皮肉な思いなど知るはずもない環は、彼を小さな丘の上にある東屋へと導いた。
 丘からは町を一望することができる。

 だが、雨のせいで決して眺望が良い訳ではない。どうして、この場所に自分を連れてきたのか少し気になる。だが、暁彦はその疑問を口にはしなかった。
 東屋の小さな木製のテーブルの上に、環はバスケットの中身を広げる。売れ残りのサンドイッチと魔法瓶、そして小さなカップが二つ。

「売れ残り」
「捨てちゃうよりは、ずっと良いでしょう?」
「そうですね」

 東屋の椅子はベンチが一つしかなく、暁彦と環は隣り合って腰を落ち着けた。その格好になると町を見下ろす状態になる。
 どちらからともなくコーヒーをカップに注ぎ、サンドイッチを口にした。

 隣り合ったままの二人はやはり視線を交わさない。黙って食事をして、霧雨に変わって眠たく煙る町を眺める。
 雨天の日暮れは密やかで、それでいて素早い。

 町の遠景には次第に明かりが灯り、反対に二人のいる丘は暗く夜に沈み始めた。それでも二人は黙って町を見つめ続ける。口を開くことを躊躇うように、きらめきを増す町へ視線を固定したままだ。
 だが、ついに環が口を開いた。

「雨、止まないわね」
「帰りますか?」
「……そうね」

 そう言いながら、環には立ち上がる気配がない。仕方なく、暁彦は先に腰を上げた。ベンチに尻が接着されたようにやたらと重たい感触だった。それを振り払い、腰を上げた彼を見て、環は口を小さく開け、また閉ざしてしまう。

 暁彦はカップを彼女が持ってきたバスケットに収め、蓋を閉じて差し出した。
 すると環はそれを大人しく受け取り、少し俯いたままで躊躇いがちに言い放つ。

「お店より、うちの方が近いわ」
 暁彦も俯き、小さく頷いた。

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