彼女の代わりに
高級ホテルのレストランでの食事をドタキャンされた俺は、引き篭もりで居候している妹を気晴らしに誘った。レストランにあとから現れたのは、見違えるように綺麗になった妹。そんな彼女とホテルで一夜を過ごすことになった俺は、彼女のシミひとつない身体を目にして抑えていた獣欲が目覚める。
『ごめんなさい、中村さん。今日は大好きな歌い手の配信があって』
電話の向こうの彼女が、申し訳無さそうに言い訳した。
一ヶ月も前に約束したのにネットアイドルを言い訳にドタキャンしてきた彼女に、僅かに残っていた希望と想いが霧散する。
「あ、そか。うん、分かった。じゃあ、仕方ないね」
『ありがとう。やっぱり、中村さんは違うと思うの。それじゃね』
彼女はさっぱりとした口調でそう言うと、俺の答えを待たずに電話を切った。
俺はしばらく固まり、
「はあ」
と大きな溜息をついてスマホを耳から離す。
「いったい、なにが『違う』んだ?」
深く座り込んだ椅子がギシリと軋んだ。少し高めのスーツが皺になるが、どうでもいい。
頑張って告白しようと思って準備したのに、最初から無駄だったってことか。
「振られた?」
「ああ、そうだな。せっかくの食事だから、誰か代わりをーーっ!」
不意にかけられた声に正直に答え、俺はハッとして振り返った。
擦り切れたトレーナーと履き古したジャージを着た妹がニヤニヤとした表情で俺のスマホを覗き込んでいる。
「な、なんだよ、唯! お前なんでまた、勝手に入ってきてんのっ?」
「大好きなお兄ちゃんの部屋だからね。むしろ、ここにずっといたいくらいだよ」
「馬鹿なこと言ってないで出てけよ」
「え? いいじゃん。なんなら、私を誘ってくれてもいんだよ? キャンセル料取られるんでしょ?」
「うるさい!」
「ひゃんっ」
俺が怒鳴って立ち上がると、尻餅をついた彼女は首を竦めて身体を小さくし、伸びた前髪の隙間から覗きこむように俺を見つめた。
本当にだらしない妹だ。
髪はバサバサだし、服だって万年同じ部屋着のまま、爪だって伸び放題。お風呂にだってまともに入ってるのかどうか分からない。
学校を中退してから何もせず、部屋に閉じこもったまま。
たまに出てきたと思ったら、俺の部屋に勝手に入ってきて寝てるし、俺がいるときにも平気な顔で入ってくる。
家事だけはきちんとやってくれてるからいいものの、それ以外は人として最低だ。
実家に帰って久々に会った時はいかにもな引きこもりだったのに、俺が引き取ってからはずっとこんな感じだ。
元気になってくれたのは嬉しいけど、ちょっとは遠慮してほしい。
俺がどんな気持ちで彼女を作ろうとしてるのか、分かってんのか?
「ご、ごめんなさい。あの、えと……ごめんなさい」
彼女はその場にヘタリ込み、床に両手をついて俯いたままぶつぶつと謝り始めた。
俺はハッとして頭を振り、さっき浮かんだ不平不満を振り払う。
またやっちまった。
彼女は全然悪くない。
久々に帰省したときに見た寂しげな瞳が頭から離れず、彼女を呼び寄せたのは俺自身なんだ。
今は家のことをほとんどしてくれてるし、本当に明るくなった。
もう自立させるべきなのに、俺が中途半端な気持ちで彼女を甘やかしているだけだ。
「あ、ごめん、ちょっと図星を突かれて驚いただけだから」
声を抑えながら笑いかけると、唯の前髪の奥の瞳が怯えた子犬のように俺を見つめた。
それは、俺が実家から戻ろうとした時に見せた、あの縋るような目だ。
その目は俺の心をぎゅっと掴んで、離してくれない。
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