胸の花が綻ぶと
私設図書館に勤める汐里(しおり)に恋をする大学生の藤馬(とうま)。二人の心は近づき、時に遠く離れていく。不器用な二人の恋は無事に芽吹き花開くのか、それとも……。
大学構内のカフェに友人と連れ立って入り、青桐藤馬(あおぎり とうま)はアイスコーヒーを注文した。特別に美味しいものでもないが、格安なので節制している身としては有難い。
それぞれ買ったものを手にテーブル席に陣取る。
「そんだけ? なんか喰わねぇの」
「金ないんだよね」
サンドイッチの包装を破いている友人を横目に藤馬はぼやいた。飲み会続きで、どうにも金欠気味なのである。
「そういや、今度のk大との飲み会どうする?」
「オレ、パス」
「マジかよ。藤馬こないと盛り上がんなくね?」
「つーか、最近の飲み過ぎで、マジで金欠なんだって」
「冬馬だったら、貢ぐ女とかいそうじゃね?」
「いねーよ」
ゲラゲラと笑っている友人達を見ながら、藤馬は一人の女性の顔を思い浮かべた。貢いでくれる女性はいないが、貢いでいる女性はいる。誰もそんな彼の生活など知る由もない。
「バイト、紹介してやろうか?」
友人の一人に言われるが、藤馬は笑って断った。無理をして働くほど困窮していない。
しばらくカフェでだらだらと話していたが、各々バイトなどの予定があり、解散することになった。
大学構内で友人達と別れ、藤馬は街をそぞろ歩く。残暑はまだ厳しいが、通り抜ける風にはほんの少し秋の気配が滲んでいる。空は薄曇りで、ゆるゆると残照を受けた雲が流れていた。
雨粒を落とすにはまだ若い雲の群れを見上げ、藤馬はふと笑みを零す。そうして瞬いた藤馬の瞼の裏側へ二重写しのように、真っ黒に急成長した積乱雲が浮かぶ。
夕立に追い立てられた真夏を思い出すように、彼は少しだけ足を速める。
藤馬が足を向けた先は街の中心部から少し外れた場所で、ギャラリーや小さなオフィスなどが建ち並んでいる一角だった。新旧の建築物が入り混じり、普段の生活圏から外れた非日常感が強い。
彼はその中でもちょっと異質な建物の前で足を止めた。黒い立方体が塀と庭木に囲まれ、頭だけ出している様は何のための建物なのか、一見しただけでは分からない。門扉は解放されているが、足を踏み入れるには躊躇う雰囲気があった。
外界と繋がる門扉の上には屋根がついている。初めてこの場所に辿り着いた時に、藤馬はここで夕立をやり過ごした。
取り付けられている監視カメラに軽く手を振り、冬馬は門扉をくぐり敷地へと踏み入れる。丁寧に手入れされた庭を横切る形で建物に辿り着く。
建物の入り口には銀色のプレートがあり、そこには「INUGAYA MICRO LIBRARY」と刻まれている。
藤馬は扉を開けた。その木製の扉は重々しい外見をしていながら、軽々と開いて彼を招き入れる。
建物の内部は空調によって温度、湿度共に一定になるよう常に管理されていた。もっともそれは人間のためではなく、収蔵されている書物のためである。
建物に入ってすぐ入館と貸与・返却を管理するカウンターに座っていた女性と目が合う。
その女性は切れ長の目を細めて微かに笑った。首からはパスを下げており、そこには顔写真が添付され犬榧(いぬがや)という名前が記されている。
「汐里(しおり)さん」
小さな声で名前を呼び、藤馬はカウンターへと歩み寄った。
「今日もヒマ?」
「そうね」
苦笑し、汐里はロビーへと視線を向ける。
ロビーは彼女がいるカウンターだけでなく、閲覧ためのスペースが設けられている。それぞれのスペースはさり気なく観葉植物の鉢などで視線を切っており、落ち着いて読書をできるようになっていた。しかし、がらんと静まり返った館内ではそんな配慮など無用のものだろう。
「いっつも人いなくない?」
「藤馬君が来る時間は人がいないだけよ」
「マジ?」
「本当」
笑いながら汐里は頷いた。
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