胸の花が綻ぶと (Page 3)
「藤馬君」
街灯と街灯の隙間、ちょっとした暗がりで汐里が立ち止まった。
「どうしたんすか?」
「あの……」
一歩先に出てしまった藤馬は立ち止まって汐里の言葉を待つ。
「君、ピアスしてるわよね」
「そっすね」
「どんなのが、……おすすめ?」
そう言われて藤馬は心臓が一拍早く脈打った気がした。
「そうだなぁ」
暗がりにいる汐里に歩み寄り、藤馬はイヤリングもピアス穴もない彼女の耳に触れた。指先に彼女の体温がある。耳にかかった髪の感触がくすぐったい。
「シンプルなやつがいいっすよ。きっと似合う」
藤馬は手を放し、また一歩離れた。
「そう」
目を合わせないまま汐里は小さく、そう呟いた。
それから二人は駅までの道を無言で辿り、改札で別れる。
電車の中で藤馬は独り、手の中に残った温度の名残を手放せないかのように、ずっと手を握っていた。
しかし、ずっと手を握っていることなどできず、気づけば手は開いている。空っぽの手があまりにも重たく、藤馬は汐里が務める図書館へ足を向けることができなかった。
引きこもったまま生活を続けることなどできず、藤馬はだらだらと日常を演じる。自分の意外にもナイーブな一面に気付いて苦笑しながらも時間は流れ、藤馬は休日に街へ出かけた。
気温はともかく暦は留まらず、次の季節商戦に備えて街は衣替えを済ませている。
藤馬は一人でぶらぶらと店先を冷やかして回り、街の片隅にあるカフェで食事を済ませた。それから、たまたま見かけた書店へ入る。汐里に借りていた小説の続きがあるかもしれないと思ったのだ。
我ながら女々しいと思いつつ店内を巡るが、肝心の書籍は見つけられなかった。どうしても読みたいという気力も湧かず、彼は書店を後にする。
真っすぐ帰宅してもよかったが、気晴らしに出かけたのだからと藤馬は少々遠回りをすることにした。大通りから少し外れた道を歩いていると、見覚えのある姿を見つける。
仕事の時と違いパンツスーツではなく、緩やかなスカートにブラウスとショールを合わせた姿はオフの気楽さがあった。
「汐里さん」
どうしてだか藤馬は相手の名前を呼び、軽い足取りで歩き出していた。顔を思い出すだけでつらいはずなのに。
「なにしてるんすか?」
声をかけると驚いた顔で振り向かれた。
「藤馬君」
「いいっすね。それ」
藤馬は汐里が持っているピアスに目を止めて言う。彼が以前に勧めたようなシンプルなデザインのものだった。そのことを飲み下し、藤馬は軽薄な笑顔のままで彼女の背後にある路上販売のアクセサリーを覗き込む。店主らしい男性は藤馬とは正反対の厳めしい顔をして商品に目を落としていた。
「オレもなんか、買っていこうかな」
「藤馬君は、普段はどんなデザインのものが好きなの?」
「オレっすか? こんなの」
明るい色に染めた髪をかき上げ、藤馬は自分の耳を汐里に近づける。慌てたように彼女は身を引く。悲しいような、楽しいような複雑な気分で藤馬は並んでいるアクセサリーに視線を戻す。
「カレシさんに見せるの? それ」
「……そうじゃないけど」
汐里は歯切れ悪く言い、ピアスを戻してしまう。
「君はブレスレットとか、ペンダントってする?」
「あー、そっすね。時と場合によるかな。ほら、TPOってやつ」
「君の口からTPOなんて聞くなんて思わなかった」
くすくすと汐里が笑う。たったそれだけのことで藤馬は満たされてしまう。
「ちなみに何の略か分かる?」
「時と場所と、相手?」
「場合ね。まあ、概ね正解」
「今日のオレ、どう?」
「プライベートな時間なんだし、いいんじゃない? かっこいい」
「マジっすか」
隣に汐里がいて、くだらない話をしている。当たり前にしたかった時間。
「オレ、これにします」
さっき汐里が戻したピアスを手にして藤馬は笑った。耳共に持っていき、訊ねる。
「どうすっか」
「似合う」
汐里も笑った。
もう充分だと藤馬は思いを切る。
あんなに楽しそうに笑ってくれた。
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