令和テレクラ・ブルース「呼び出し音は肉欲のプレリュード」
令和になって2年。オトコとオンナを繋ぐツールの全盛は「出会い系」になったが、昭和~平成にかけて猛威を振るったのが「テレフォンクラブ」(略してテレクラ。以下同)だ。ここでは、電話線を挟んで様々なドラマが生まれたのだった。そんな時代をリアルに知る男・富永克己(50歳・ルポライター)が、当時を振り返りながら現代をも語る「新版テレクラ千夜一夜物語」。果たして、そこに「愛」はあったのか!
その個室には夢があるのか!?
「いいわぁ~、もっともっと突いてぇ。そのまま、クリクリを擦り減らしてよぉ~」
そう言って、小さくて薄い尻を思い切り突き出した美奈代は、バックの態勢だったために顔を枕に押し付けていた。
尻が小さいのでデルタが薄く、後ろからマンコに挿入したチンコがすぐに子宮に到達しそうな状態にあったのだった。
この小柄で痩せた美奈代は、その日の昼過ぎに首都圏で2軒になった絶滅寸前のテレクラで見つけてきた。その大手チェーン「チャンススポット西日暮里店」(荒川区)でアポを成立させたオンナだった。
「上野からかけてきている」
と言うので、富永は電車移動で会いに行ったのだった。
ドタキャンやスッポカシの可能性もあるのだが、「この出会い系全盛のご時世じゃ、贅沢もいってられねぇしな」とばかりに、店を飛び出していったのである。
電話の主の美奈代は28歳の自称・デパガで、「今日はシフトでお休み」との事だった。それで、彼氏もいないし「テレクラの方がてっとり早い」と、コールをしてきたらしい。
実際に会った富永は、話し方もしっかりとしているし、美人局の匂いもしないのでお茶を飲んでいる最中にラブホに誘い、そのままインと相成ったのだった。
部屋に入ってからの美奈代は、軽くキスをしただけで冒頭のように組み敷かれて後ろからマンコへと、その先の子宮をも貫かれていた。
膝立ちでスタイルで突いている男性・富永克己は、齢五十になったにもかかわらずにチンコは血管が浮かぶほどに起立していたのだ。
元来のオンナ好きにプラスして、“溜まっている”のが原因だと本人は思っているのだが、医学的な根拠は全くないのが「らしい」といえば、富永らしかった。
その富永の生業は「フリーのルポライター」だった。若い頃は硬軟混ぜて、様々な事象に切り込んでいったものだ。それがいつしか、ピンク方面の仕事が主になり業界では「ピンク・ライター」と呼ばれるようになった。
それも、風俗だけではなく「テレクラ・ルポ」や「素人熟女ルポ」や「素人熟女ヌード」など“素人モノ”を手掛けて名を馳せてきたという経緯があった。
そんな富永がテレクラにのめり込んでいったのは、もともと趣味の域で遊んでいたところを当時つきあいのあった雑誌の編集者から、「なんなら、仕事で書いてよ」と軽いノリで依頼をされたのが起源だ。
もともと「スキモノ」だったがゆえに富永の書くテレクラ・ルポはリアルだったのが好評をはくして、オファーが他社からもワンサカと入ってきたのだった。
その好評の裏には、一眼レフ(デジカメではない!)を自在に操れた事と「ヤラセなしのテレクラ素人ヌード」を撮って、なおかつハメ撮りまでしてきた事が大きかったのである。
そうしてテレクラからスタートして、「ダイヤルQ2」「伝言ダイヤル」「ツーショット」「出会い系」と時代の変遷とともに、あくまでも“ツールを使った男女の出会い”をレポートしてきたのだ。
その富永に後背位で貫かれているオンナ・美奈代は、チンコを自分の背後から突いてくる相手が“伝説のテレクライター(テレクラ・ライターの略w)”とも知らずに、本能の赴くままに、
「うぐっ、あぁぁ。バックは感じるっ、犯られてるみたいで感じますっ!」
と、枕に顔を正面から埋めているにもかかわらずに声を漏らしている。そして、
「ひぃぃ、イイかも。バックもイイかもっっ。もっともっとお尻を揺らしてください」。
富永は腰のグラインドを小刻みに変えて、そのまま内ヒダとクリちゃんを擦りつけていった。いつもとは、擦れる位置が逆なのが新鮮らしく、美奈代は「うっ、うっっ」とイクの必死に我慢しているようだったが、尻を思いっきり突き出す形にして“ピクン”とマンコを痙攣させて動かなくなってしまったのである。
無言のまま、しばらく身動きをしなかった美奈代だったが、仰向けに休んでいる富永に上半身を重ねてきて、
「ねぇ、LINE教えてよ」
と、言ってきた。
富永は返事の代わりに、今度は正常位でのしかかっていった…。
テレクラ自体の存続が危うい現在において、セフレ獲得とは「まだイケるかな?」と思わせた昼下がり。テレクラで稼がせてもらった老ルポライターの、“昔のような”一刻だった。
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