君と、忌々しい望郷の念に駆られて (Page 2)

溝呂木さんは小説家として本を何冊も出版しており、頭が煮詰まったから海の見える旅館に来たのだと言います。

「まさか、花野のような素敵な女性に出会えるとは思わなかったよ」

彼は、いつでもそう言って私の髪に口づけます。

長期にわたって宿泊し、旅館を去った後も「東京で嫌なことがあった」と言っては、再び私に会いに来てくれました。

そんなことを何度も繰り返していれば、両親も私たちの関係に気づきだしたようです。

私は日中は大学へ行き、帰宅後は夕方から夜にかけて旅館の手伝いをしていました。

溝呂木さんの布団を直しに行くたび、彼に触れてもらうことがいつしか楽しみとなっていました。

彼は、後ろから挿入することも好んでいました。

私の右手を掴み、身体を密着させ、自分の欲望を思う存分ぶつけてくるのです。

私は小さく喘ぎながら、何度も「好き」とつぶやいてみました。しかし、彼は一度として、私に好きとは言ってくれません。

ある夜、ことが終わってからのことです。私はシーツを身体に巻きつけて、窓辺でタバコを吸っている彼を見つめていました。

「溝呂木さん。あなたはどうして、何度もこの旅館に来てくれるのですか?」

「…花野に、会うためだよ」

「嘘」

私が彼の言葉に被せるように言ったため、彼は少しだけ驚いたようでした。

タバコの煙は青白く、夜空に浮かんだ雲と同じ色にも見えます。

溝呂木さんは大きく息を吐くと、海を見ながら自分の過去について語り始めました。

「確か君は、終戦の直後に生まれたんだったな」

「ええ」

「俺も、かつては家族があったんだ。妻と3人の子がいて、本当に幸せだった」

私は相槌を打たず、話の続きを待ちました。

「戦争も終わりに近づいた頃、戦火はますます激しくなった。俺は子供達を満足に食べさせることもできず、あの日も敵の手から逃げるために、逃げていたんだ」

彼は、瞬きもせずに話し続けます。

「敵も去った後、わずかばかり食糧を分けてくれるという人がいて、妻が子供たちから一瞬だけ目を離してしまった。俺は民家に火がついたと聞いて、消火に駆り出されていたんだ。妻が戻ると、生後7ヶ月だった末っ子がいなくなっていた。どこを探してもいないんだ。人さらいか、孤児だと思われたのか…。どちらにせよ、連れて行かれたことに変わりはない。俺は妻を責めた。妻も泣きながら、俺を罵った。そこから家庭は徐々に崩壊して、最後は妻が2人の子供を引き取って離婚したんだ」

末っ子が生きているのか、分からない。ただ、誰かが孤児だと思って大切に育てていると思いたいんだ。

だから、花野が末っ子と同じ歳だと知った時、懐かしい気持ちがした。

花野に会うことは、俺にとって生き別れた娘に会いにくるのと同じことなんだよ。

「いつも、している時に出す名前は、娘さんの名前なんですか?」

「まさか。…あれは、前の妻の名前だよ」

最後は、ほとんど絞り出すような声でした。

「花乃、死にたいよ」

「え?」

「俺はもう、死にたいよ」

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