愛犬ワンコ
愛犬と共に暮らしていた田代は、一緒に愛犬を可愛がってくれていた隣人岸谷一子とともにその犬を看取った。その死の悲しみを受け入れるとともに隣人一子との関係の終焉を寂しく思っていた田代に、一子が発情した牝犬のように迫ってきた。
愛犬が死んだ。
雨に打たれて凍えていたワンコに出会ってから15年だ。
上京した俺が孤独に耐えられたのは、彼女のおかげだろう。
むしろ彼女とともに生きるために、働いていたような気もする。
その彼女が、さっき死んだ。
「ワンコちゃん、眠ってるみたいですね」
細くしなやかな指が、白くなった毛並みを撫でる。
ワンコの傍らに座る彼女は、5年ほど前に隣へ越してきた岸谷一子だ。
進学と就職という人生の節目を通じてまでワンコのことを可愛がってくれた彼女とは、時々散歩を一緒に行く程度の仲にはなっている。
俺のようなしがないおっさんにも優しいので勘違いするときもあるが、ワンコへの接し方を見れば彼女が犬好きなのは誰が見ても分かることだ。
彼女は瞳を潤ませながらも必死に笑顔を作ってくれていた。
シャギーショートの髪が僅かに揺れ、彼女の心の動揺を伝えてくれている。
「最期にカズちゃんに会えて、安心したんだろうね」
「ふふ、そんなことないですよ。……最後まで田代さんの側に居られて、嬉しかったんだよね」
一子は冷たくなった愛犬に優しく声をかけながら、もう一度そっと撫でた。
「ははは、そうなのかワンコ? もうカズちゃんと散歩へ行けなくなると思うと、寂しくなるよなあ」
俺が冗談交じりに言った言葉に、彼女の腕の動きが止まる。
朝早いというのに綺麗に整えられた眉が、僅かに寄せられていた。
「ん? カズちゃん?」
「いえ。ワンコちゃんの声が聞こえた気がして。……あ、そうだ。何か食べませんか? お台所、お借りしますね」
一子はどこか落ち着かなげに笑顔を作ると、俺の答えを待たずにキッチンへと向かった。
いま気がついたが、彼女は部屋着のスエットシャツにジーンズというラフな服装だ。
混乱していた俺の声を聞いて、着の身着のまま来てくれたということだろう。
また少し勘違いしてしまいそうだが、ワンコがあっちに行ってしまったからには、彼女がこれ以上俺に構ってくれることはなくなるだろう。
俺は少し心が苦しくなったが、感謝の気持ちを込めてワンコの冷たくなった身体を撫でた。
「お前のおかげであんな可愛い娘と楽しく過ごせたんだから、本当にありがたい話だよ」
『クゥ』
「え?」
ワンコの声が聞こえた気がしたが、一子の言葉に触発された空耳だろう。
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