青い薔薇の密猟者はその棘に気付かない
会員制サロン『ブルー・ローズ』で働いていた三枝(さえぐさ)は、会員の個人情報を持ち出し、売り捌こうとしていた。そんな三枝が祝杯を挙げていたバーに一人の女性が現れる。彼を虐げていた女上司への鬱屈した感情をその女性にぶつけることにした三枝は……。
バー全体が琥珀色に染まっている。
身も蓋もないことをいうのであれば、それは照明の仕業であり、特別な使用ではない。しかし、心地良い酩酊状態にある三枝(さえぐさ)にとって、上等な洋酒の中を漂っているような、そんな心地にしてくれていた。
全体的に薄暗い店内には、客が彼一人きりということもあって浮世離れした場所のように思わせてくれる。あるいは映画か何かのセットの上だろうか。
そろりと三枝はスーツを撫でた。
彼が撫でたスーツの内側には小さなメモリーカードが仕舞われている。このたった一枚の小さなカードの中に収められた情報が、三枝の人生を変えてくれるだろう。
ほくそ笑み、彼は酒を口にした。
軽やかに音を立て、氷がグラスどぶつかる。焼け付く感覚を喉の奥へ残して胃の腑へと落ちていった酒は、芳醇な香りを鼻先へと逃げしていった。
始めて入った店だったが、酒は上等なものを置いている。
三枝は気紛れに入った店が当たりだったことを内心で喜んだ。
ツイている。そんな実感が胸中に満ち、小躍りしたい気分になったのは、酔いが回り始めている前兆だろうか。普段ならチェイサーでも頼むところだが、祝杯に文字通り水を差すような真似はしたくない。
もう一口、とグラスを口元へ運んだところで落ち着いた店内には場違いな明るい声が店内に響いた。
「やっほー」
声の主は店内を横切り、少々高いスツールに飛び乗るようにして腰を落ち着けた。
スーツを着た女である。化粧の薄い細面には少々幼さが残っているが、それもあと数年もしないうちに消えるだろう。新卒か、あるいはやっと仕事に慣れて後輩もできた若手社員といったところだろうか。
三枝はそんなふうに女を値踏みし、またすぐに目を離した。
「久しぶりー」
女は気安げに店主に声をかける。
店主は如才なく笑って見せ、注文を受けた。殆ど待つことなく女の前にコースターと小さなグラスが置かれる。
「ねえ、聞いてよ」
女はグラスを持つこともなく店主に話しかけた。店主も手を止めて話を聞く体勢になる。
「今日、やっと仕事辞められたんだぁ」
ほう、と三枝はつい耳をそばだてた。同じ境遇だからだろうか、それは反射的なものだった。
店主と三枝に聞かれているとも知らず、女は話を続ける。
「前も話したけどさぁ、あのクソ上司、ほんと酷かったんだよねー」
女はグラスを取り上げ、中を覗き込む。深い琥珀色の液体が彼女の視線の先で揺れた。
「あたしに残業を強制するくせに、自分は帰るんだよ? こっちはお前の汚いケツを拭くために残業押し付けられてるってのにさぁ。ほんとムカつくから、労基に証拠送りつけてやったの」
ケラケラと笑って女はグラスの中身を口にした。氷すら入っていないそれを彼女は水のように一息に飲み干す。見ているだけで三枝は喉が焼けた気がする。
余程酒に強いのかと三枝は思ったがそうでもないらしく、女は咳き込んでしまう。店主がさっとチェイサーとおしぼりを差し出した。
「けほっ。……しかもさぁ、あいつ、あたしとヤれると思ってんの。バカにするのも大概にしとけって話よ」
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