初めてのひと (Page 3)

 猜疑心はむくむくと成長し、枝葉を広げて頓田の思考にしっかりと根を下ろしてしまう。
 
「トントンさんって」
 笑顔のまま、スミレはそんな頓田の猜疑心の絡んだ思考を叩き切る。
「女性経験はないですよね?」
 童貞かと問われた。
 
 この女性の口からそんな主旨の言葉が飛び出してくるなど、頓田にとって埒外の事態である。猜疑心どころか思考が途絶してしまった。ぱくぱくと間抜けにも口を開閉するだけで、意味のある言葉は何一つ出てこない。
 
 彼の視線はちらりと艶めかしく覗いたスミレの舌先を無為に追っていた。
 
「私、女性経験のない男性が好みなんです」

 瞬間、言葉の意味を頓田は理解できなかった。
 
「男性にも処女が好きっていう方がいますよね。それと似た感じです」

 何も言えないでいる頓田に苦笑し、スミレも口を閉じた。
 二人で会話もなくひたすら黙っていると、従業員が注文を取りに来たので頓田は半ば無意識にコーヒーを頼んでいた。
 
 程なくして二人の前にコーヒーの注がれた白無垢のカップが運ばれてくる。
 
「初めてっていうのが、興奮するんです。このカップみたいに真っ白なものを自分勝手に汚す感覚っていうんですかね。あれ、背徳みたいなものが凄くて……」

 カップの縁に指先を滑らせながら、スミレは訥々と自分の性癖を語る。語りながら興奮してきたのか、彼女の頬に朱が差していた。
 
 コーヒーの表面に落とした視線をスミレは、不意に頓田へぶつける。彼はその勢いに押されて、そそくさと視線を明後日の方向に向けた。
 
「トントンさんは、どんな好みがあるんですか?」
「……」

 問われても頓田は沈黙を続けた。回答を拒否したのではなく、伝えるべきものがなかったからだ。女性の好みも、ましてや女性との性体験でしてみたいことなど、頭の中に何一つ。
 
 今まで自分は女性と縁がなかっただけだと頓田は思っていたが、もしかしたら興味そのものがなかったのかもしれないと思った。そして、そう思ったとたんに、胃の辺りがずんと冷たいもので重たくなる。
 
「分かりません」

 重たい口を開いて出てきたのは、それだけだった。
 頓田はますます俯いて膝の上で握った自分の手だけを見ている。
 
 だから、気付いていなかった。スミレが唇の両端を持ち上げ、本当に嬉しそうに笑ったことに。それが舌なめずりをする肉食獣めいたものであることにも。
 
 するっとスミレの足がテーブルの下で動いた。
 ハイヒールから足を抜き、黒いストッキングに包まれた足先で頓田の股間に触れる。
 
「っ……」

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