彼女の未練と彼女への未練 (Page 4)

 その日は、取引先との打ち合わせが深夜までかかり、会社に泊まるしかなくなった。
 いや、俺がわざとそうしたのだ。
 幸せの残滓が残っている家に、帰りたくないから。

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れ……っ!」

 俺は素直に挨拶を返してハッとした。
 こんな時間に会社に残っているのは、俺だけのはずだ。

「誰?」

 間抜けな声を出して、声のした方に目を向ける。
 この古いビルは曰く付き物件だから、人ならざる者がいても不思議ではない。

「カナだよ」

「えっ?」

 目の前には、明るい色に染めた長い髪の先を指で弄びながら、照れるように微笑むカナが立っていた。

「か、カナ……」

「うん、カナ、だよ。元気だった?」

 カナは俺の記憶のままの眩しい笑顔で、照れたように笑った。
 頭の中で、彼女の遺影や棺の中の白い顔がフラッシュバックする。

「驚かせる気はなかったけど、我慢できなくて。浩紀、ずっと頑張ってるからさ」

「……ずっと?」

 彼女を失ってから数ヶ月、俺は確かに仕事だけをしてきた。
 彼女との思い出のある家に帰らない言い訳を探して、会社に出来る限り長く居座れる仕事を探した。
 彼女は、それをずっと見守ってくれていたのか?

「浩紀、無茶してるからさあ。見ててハラハラしたよ」

「カナ……」

「うん、カナだよ。見て、生きてる時と同じでしょ? 浩紀のこと本気で心配してずっと見てたら、こうなっちゃった。すごくない?」

 あっけらかんと言った彼女は、自分が生きていないことを自覚しているらしい。
 そんな彼女に、俺は欠片ほどの恐怖心も感じなかった。
 むしろ、踊り出したいほど嬉しい。

「……あっちには、いけないのか?」

「んん、そだねえ。……たぶん、未練があるんじゃないかな? 分かんないけど。実際、思い遺したことあるし」

「思い遺したこと?」

「うん。私、浩紀のこと大好きなんだ。だから、さ」

 死人だとは思えないほど、彼女の頬が赤く染まった。

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