兄さんの妻
「初めまして。今日から暫く、貴方のお世話をする事になりました」就活に失敗し、引きこもりニートになった俺の前に現れたのは元グラドルの義姉だった。「私の事は――家政婦、家族、恋人。何と思ってくれてもいいわ」はじめは険悪な仲だった俺たち。しかし、徐々に距離が近づいていって――「翔くんの……全部が欲しいの」
スマホの着信音に起こされた。母さんからだった。
『もしもし、お母さんです。翔ちゃん、大丈夫?就職のことなら気にしないで。父さんが特別に席を用意してくれるって。お兄ちゃんも心配してるみたいで――』
電源を切ってベッドに投げ捨てた。近くに散らばった未使用のコンドームが哀愁を誘う――なんてことを考えながらキッチンへ向かった。冷蔵庫を開けて酒をとったが冷えていなかった。食べ残したおかずにカビが生えているのを見て、一か月前に電気を止められた事を思い出した。仕方がないので水道の蛇口に口をつけて飲み始めた。
どんな夢もいつか叶う、なんて耳障りの良い言葉が流行っているが、それが強者の戯言である事を俺はとうの昔に知っている。
――血がにじむ努力をしても得られないモノがある。どんなにあがいても届かない場所がある。今までは気がつかないフリをして走り続けてきたけれど、少し立ち止まったら歩く事すら出来なくなった――。
なんて言ったら恰好がつくか。要は就活に失敗して引きこもったクズだ。大学入学を機に借りた安アパートで一人、食って排泄して寝るだけの生活を送っている。
ピンポン、とチャイムの音が短く鳴った。公共料金の請求か宗教関連かと思って無視していたが、居留守程度でひるむ相手ではなかった。繰り返しチャイムを鳴らされ、しびれをきらした俺は息を潜めてドアスコープを覗いた。
ゆるくウェーブのかかったブラウンの髪の毛、ぽってりとした唇に服の上からでも分かる豊満なバスト――と、一週間分の荷物が入りそうなキャリーバック。
見間違えるはずがない。義理の姉、里香だ。数年前に起業したばかりの兄と結婚して、現在は海外で暮らしていたはずだが……。
彼女がもう一度チャイムを鳴らす前にドアの鍵を開けた。
「初めまして。今日から暫く、貴方のお世話をする事になりました」
「お待たせしました。ご注文の品でございます」
里香が襲来して数分後、俺たちはすぐ近くのファミレスにやって来た――。というか、義姉に家の中を漁られ、呆然としている俺を拉致するように連れてこられた。コーヒーに口をつけ、彼女が静かに切り出した。
「調子はどう?」
「……」
「今回の説明のPDFをメールで送ってあるんだけど、家の電気が止まってたし多分見てないわよね。念のため印刷しておいたテキストがあるから読んで」
義姉がブランドバッグから書類を取り出し、俺の目の前に差し出した。俺は壁のコンセントでスマホを充電し、電源を入れた。
「……。さっきも言ったけど、暫く貴方の世話をする事になったわ。期限は一週間。目的は、貴方を社会復帰させること」
俺は黙っていた。彼女はそんな俺を一切気に留めようとせず、喋り続けながらバッグから札束を取り出した。
「で、これが当面の生活費。滞納してた電気代やガス代はここから支払っておくわ。余った分は好きに使って」
一つ、二つ、三つ……と次々に札束が積まれていく。この異様な光景に周りも気がついたのか、嫌なざわめきが聞こえた。
旧姓、山下里香。数年前に結婚するまでは癒し系グラビアアイドルとして一世風靡していた。バラエティー番組やクイズ番組に出演する事もあり、巨乳で美人のおバカという男の夢を詰め込んだキャラだったはずだが――その面影はどこにもない。
「私の事は――家政婦、家族、恋人。何と思ってくれてもいいわ。貴方の好きになさい、以上。何か質問は?」
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