老いるには早すぎる

・作

人見明久は妻を亡くしてから性欲が激減していた。そのため、自分は老いた、もう男として枯れたと思っていた。ところが、年下の同僚で娘か孫のように思っていた東琴葉から好きだと告白される。気の迷いだろうと断ったが、積極的にアプローチされる内に明久の中の男が再び目覚めていく。

「私、人見さんが好きです」
 人見明久はキーボードを打つ手を止めた。
 他の社員が用で帰ったため、2人だけで残業している最中だった。
 横を見ると、同じ総務課の東琴葉が椅子ごとこちらを向いていた。制服のタイトスカートの上で両手をぎゅっと握っている。
 
「冗談は……」
「冗談じゃありません」
 明久も椅子を回して向き直った。
 琴葉は29歳で中途入社してきた。56歳の明久からすれば娘か孫のように思えて、実際そう接してきた。

「気の迷いだ」
「違います」
 太股に手を置かれ、明久はハッとした。
「気の迷いなら、こんな事しません」
 ほっそりした指をゆるく動かしながら、手が足の付け根へと移動してくる。
 
「やめなさい」
 明久はやんわりと手をどけた。
「私は」
「今日はもう帰るよ」
 素早くパソコンをシャットダウンして明久は立ち上がった。
「東さんも早く帰りなさい」

 外はもう暗くなっていた。電車に乗り込んで空いている席に座る。
 スラックス越しに触れた体温が残っている。
 妻が亡くなってから、性欲は激減した。年でもあるし、枯れたのだと思った。電車の窓に映っているのは老いた男の顔だった。

 琴葉は美人というよりは可愛いタイプだった。ボブの髪を綺麗に内巻きにしていて、童顔のわりにたっぷりの胸が目を引く。
 若く魅力的な琴葉のような女性が自分のような老いた男に恋愛感情を抱くはずがない、何かの間違いだろうと明久は自分に言い聞かせた。

 翌日、出勤すると琴葉はいつも通りだった。
 やはり気の迷いだったかと、少し寂しく感じる。が、それでいいと切り替えて仕事に取り掛かった。
 他の部署に備品を届けてエレベーターに乗り込むと、誰かが駆けてきた。
「すみません、乗ります」
 琴葉が乗ってきて、明久は少し緊張した。
 
「同じ階でいいかな」
「はい」
 エレベーターが上がっていく。無言の間が気まずくて、明久は話しかけた。
「今夜は雨が降る……」
 いきなり、唇をふさがれて言葉が途切れる。
「あ……」
 いったん離れ、拒絶されていないと分かると再び唇を重ねられる。ヌルッと舌が入り込んできて、つい応えてしまう。
 エレベーターが着き、琴葉が「すみません」とつぶやいて走り去っていった。

 その後の仕事は手につかなかった。何とかこなし、会社を出ようとして出入口に琴葉が立っているのに気づいた。
「東さん」
「あ、人見さん」
 琴葉が困ったように笑った。
 

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