世界一下手くそなプロポーズ
白瀬安吾(しらせ あんご)は旧友の喜納沼緋沙子(きのぬま ひさこ)に突然呼び出され、再会を果たした。お互いの心の裡に一筋縄ではいない感情を隠していた二人は、どうなるのか……。
「なあ、しばらく私の身の回りのことをやってくれないか」
出し抜けに言われ、白瀬安吾(しらせ あんご)は手を止めた。
彼の手には散髪用の鋏が握られ、その先端には長々と伸びた黒髪の一端がある。
安吾の前に座っているのは、旧友の喜納沼緋沙子(きのぬま ひさこ)だ。伸ばしっぱなしで放置された異様に長い黒髪と不健康な青白い顔色の女である。
「なんで、俺がお前の世話係なんだよ」
じょぎ、と鈍い音を立てて黒髪が切断される。
「私は、君の言う通り生活能力が欠如していてね。おかげで家もあの有り様だ」
そう言った緋沙子の視線の先には自らの住処がある。洋風の建築で、鳥瞰すればカタカナのロの形をしていると分かるだろう。洒落た建物だが、住人が修繕どころか現状維持すら意に介さないので、あちこちくたびれている。
二人が散髪をしているのは、家の真ん中にある中庭である。
「確か君は今手が空いているんじゃなかったかな、安吾」
「まあ、しばらく暇だけどな」
不承不承ながら安吾は認める。
彼は年季の入ったフリーターで、一週間程前までは都内の居酒屋で雇われ店長をやっていた。その前は外国人の観光客相手に通訳の真似事をしていた。そうやって定職には就かず、安吾は興味を惹かれた仕事を転々と渡り歩くのである。
国内外を問わず、あちこち放浪していたため、コネはあるし、仕事に困りもしなかった。おかげで貯金まである。
「だからって、お前の世話係をやる理由もないぞ」
言い放ち、彼はまた髪を切断した。切り離された髪が地面へ落ちていく。
「働きに見合った報酬を渡すぐらいはするさ」
「俺は休暇に来たんだぞ」
憮然として安吾が言い返すと、緋沙子が不意に彼へ振り返った。慌てて鋏を引っ込めた彼に、彼女は笑いながら言う。
「宿は決まっているのか? どうせ決まっていないだろう? この辺りにはホテルなんてないからね」
ぶすりと安吾は黙り込んだ。図星だったのである。
「私の家に住めばいい。家賃はタダだ。そのついでに私の身の回りのことをしてくれればいいのさ」
「……まあ、色々と買ってきたしな」
深々と溜息を吐き、それから安吾は観念して首肯した。
そもそも彼女が強引なのは、今に始まったことではないのだと安吾は思う。今回の突然の再会にしても、たった一枚のハガキで彼を呼びつけのだ。どうやって安吾の現住所を知ったのか、その手管は不明だ。とはいえ面白そうだと、のこのこ現れた安吾も間抜けと言えば間抜けだ。
「くそー、せっかくの休暇が」
緋沙子の頭の位置を直し、ぶつくさ言いながらも安吾の手はてきぱきと働く。見る間にぼさぼさだった彼女の髪は整えられ、リクエストされた長さになった。
「ほれ、どうだ」
小さな手鏡を安吾が差し出してやると、緋沙子は少年のように短くなった髪を見て笑った。
「うん。いいな。君は理髪師になれるぞ、安吾」
「そりゃどうも」
素っ気なく答えながらも、明け透けな緋沙子の笑みが学生時代と変わらないことに彼は戸惑う。まるで時間が巻き戻ったように幼さすら感じる。
「さっさと風呂入って来いよ。首やらがチクチクするからな」
「分かった」
素直に返事をした緋沙子を見送り、彼は短く刈り込んだ頭を掻いた。
「二人とも、いい大人だってのに」
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