世界一下手くそなプロポーズ (Page 5)

「おいっ、緋沙子!」

 安吾は浴室に飛び込んだ。シャワーで濡れるが、構わず彼女を揺する。緋沙子の肌は異様に熱く、呼吸も浅かった。
 すぐさま安吾は彼女を抱えて浴室を出る。それから緋沙子の体をバスタオルで乱暴に拭きながら名前を呼び続ける。だが、殆ど反応がない。
 自分が持ってきた服を緋沙子に着せると、安吾は脱力したままの彼女を背負う。そのまま靴も履かず飛び出し、安吾は町へと駆け出した。病院の位置は買い物に出た時に憶えている。彼は病院に駆け込み、事情を説明して緋沙子を急患として医師に預けた。
 待合室でほっと胸を撫で下ろした時、自分がびしょ濡れで、しかも靴も履いていないことに安吾は気付いた。なにより財布を持っていない。
 バツの悪い思いで、受付に家まで財布を取りに行くこと告げ、とんぼ返りした。今度は靴を履き、濡れた服を着替えて待合室で待つ。
 ほどなく医師に呼ばれ、安吾は緋沙子が過労で倒れたことを知る。
 頭の血管がぶち切れそうな気分だった。安吾は診てくれた病院関係者の手前、なんとか落ち着いたふうを装う。
 念のためと入院を勧められるが、緋沙子は頑として首を縦に振らない。

「嫌だ。病院は嫌いだ」

「我儘言うんじゃねぇ、ガキじゃあるまいし」

「嫌だ」

 そんなやり取りを何度かした挙句、放置して帰ろうとした安吾の背中に緋沙子は子泣き爺よろしくへばり付く。こめかみを怒りでひくつかせながらも安吾は、病院の迷惑にならぬよう彼女を連れて帰ることにしたのだった。
 帰り道、緋沙子は安吾に背負われ、肩に顎を乗せている。苦し気な吐息が彼の頬にかかり、入院すればよかったものをと、安吾は内心で苦々しく思う。

「まったく、お前はよぉ」

 それでも悪態は口を突いて出る。

「……あそこは、病院は嫌いなんだ」

「何度も聞いた」

「子どもの頃はずっといたし……、夫だった人も病院で死んだ」

「そんなに病弱なら、ちったぁ自分の体力ってもんを考えろ」

 あえて緋沙子の夫の話題に気づかないふりを安吾はする。

「安吾。私は、本当に酷い女なんだ」

「そりゃそうだろうよ」

「ずっと、心の中で夫を裏切り続けていた」

 熱に浮かされたように、苦し気な呼吸に紛れて緋沙子の言葉が零れる。

「両親に見合いをさせられて、私は逆らえなかった。それなのに、見合いをしろと言われた時、君の顔が浮かんだ」

「……は?」

「誰も愛せないと思っていたのに。本当は違った。君を愛していたから、他の誰も愛せなかった」

 唐突な告白に安吾の頭は真っ白けになっていた。足だけが自動的に彼の意識と緋沙子を運んでいく。

「それなのに、結婚なんてして、夫をずっと裏切っていた」

 私は、と緋沙子の声が詰まる。

「酷い女だ」

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