空似 (Page 2)

 それに鏑木が顔をしかめていると不意に窓を叩かれた。
 車の傍に立って女性が中腰で車の中を覗き込んでいる。柔和そうな面立ちの女性だ。

 見知った顔だったので助手席側のロックを鏑木が外してやると、女性は笑みを浮かべてするりと車内に滑り込んでくる。猫のようなしなやかさだった。
 車内に女の香りが混じる。

 女性はクリップボードの表へ視線を落とし、ぱらぱらと指先で弄ぶ。
 それを横目で見ながら鏑木は味噌汁を飲み下した。

「棚卸し?」
「ああ」
 問われて低い声で鏑木は返事をする。

 格好をつけたわけではなく、しょっぱくて喉の奥がイガイガしただけだ。咳払いし、不快感を取り除きたいが上手くいかない。鏑木は諦めて息を吐いた。

「そっちは?」
「色々」
 鏑木は、この女性の素性を知らない。名前を知らない。仕事も知らない。
 どうして、この場にいるのかも知らない。
 訊ねたことがないので、知りようがなかった。

「いる?」

 女性が差し出したのは缶コーヒーだった。貸し倉庫が立ち並ぶ敷地の入り口の辺りに、ひっそりと自販機があることを鏑木は缶を受け取ってから思い出す。

「ありがとう」
 なんと言うべきか一瞬だけ迷い、鏑木は無難な言葉を口にした。すると、どういう訳か女性はくすくすと密やかに声を上げて笑う。
 憮然として彼は缶を開け、コーヒーを飲んだ。ブラックだったので、さらに顔が苦々しくなった。

「あなたって、お礼が言えたのね」
「俺を何だと思ってるんだ」
 呷るように缶を逆さにしてコーヒーを喉の奥に流し込む。

「そろそろ仕事に戻る。他所へ行くんなら鍵をかけて行ってくれ」
 言い捨てて鏑木は車を降りた。
 それから数歩、倉庫の方へ歩いて鏑木は車の方へ引き返す。
「あそこの倉庫にいるから、帰る時は鍵をよこしてくれ。いいな?」

 女性は微笑むと車窓を開け、クリップボードを彼に向って差し出した。
「忘れ物。これがないと困るんじゃない?」
「……助かるよ」

 クリップボードを受け取り、今度こそ鏑木は倉庫へ向かう。
 残った商品の棚卸しを終わらせるべく、鏑木は再び孤軍奮闘を開始する。その甲斐あって棚卸しは順調に進んでいた。

 気が付けば倉庫内は暗く、照明が必要になっている。灯りを点けるためには、倉庫の出入り口の脇にある電源のスイッチを入れる必要があった。
 鏑木はいつの間にやら痛みだした腰を擦りつつ、照明スイッチに歩み寄る。スイッチをオンにすると、さして広くない倉庫内に光が満ちた。

 ふと、外へ目を向けると車の中に女性はいなくなっている。

 顔をしかめて鏑木は車へ近づく。鍵を閉めようと思ったのだ。そうして車へと近づく彼の背後に忍び寄る影があった。
 不意に背後から肩を叩かれ、鏑木は反射的に首だけで振り向く。そんな彼の頬へ人差し指が突き刺さった。

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