春爛漫
友也(ともや)は大学受験も合格発表も無事に終え、卒業までの時間をのんびりと過ごしていた。そんなある日、恋人の馨(かおる)から「今日は親の帰りが遅い」と言われて……。子供時代を終え、大人へと確実に変化していく若者二人の初体験の純愛物語。
友也(ともや)は、ふと顔を上げた。
机の上で参考書の上に置いていたスマホが振動したからだ。
読んでいた文庫本を伏せ、スマホを見ると馨(かおる)から連絡が来ている。映画を観に行かないかという誘いだった。
読みかけの文庫本に栞を差し、友也は同行する旨を返信して出かける準備をする。少しばかり服装に悩む。しかし、結局はよく着ている白い襟シャツにジーンズ、ジャケットを合わせた。小ぶりのボディバッグに細々としたものを詰め込み、自室を出る。
彼の自室は二階にあり、一階へ降りていくと母がリビングでテレビを見ていた。
「あら、出かけるの? お昼は?」
リビングの時計は十時を少し過ぎたところ。
腹の辺りを擦って友也は考え、返事をする。
「外で食べるかな、たぶん」
その返事を聞いて母は、ふぅん、と意味ありげに目を細めた。それから立ち上がると、自分の財布から五千円札を一枚取り出し、友也に差し出す。
「カノジョとご飯ぐらいなら足りるでしょ」
「いや、多いよ」
「見栄張んなさい、少しぐらい。あ、お父さんには内緒ね」
父へ秘密にする理由はよく分からなかったが、友也は母に押し切られる形で紙幣を財布に収める。強引ではあったが、有難い。本格的な受験勉強のためにバイトを辞めていたので、金欠気味ではあったのだ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
そう言い交わして玄関へ向かった友也の背に、リビングの定位置に戻ったはずの母が再び声をかける。
「お母さん、パートで今日遅くなるかもだから。そうなったらお父さんと二人でお夕飯食べてね」
「はーい」
母の声を背中で受け止め、友也は気のない返事をして家の外に出る。
受験と合格発表を終えると、季節はいっきに春めいた。
暖かな日差しに目を細め、友也は働いている大人達の間を抜けて駅前を目指す。
卒業式までは自由登校となり、友也は平日でありながら街を歩く。その歩みの、日常からほんの少しだけズレているような感覚は陽気のせいだろうか。
待ち合わせ場所までの道中で、以前バイトをしていたファーストフード店の前を通り過ぎる。辞めてからは一度も行っていない。かつて自分が働いていた店へ行くには妙な気恥しさがあった。
しかし、嫌な思い出がある場所では決してない。
何しろ、馨と出会った場所なのだ。
時期を同じくしてバイトを始めた二人が、今や大学生になろうとしている。自分の身の上で流れた時間の早さを友也は改めて実感した。
これからあと何回、こうして馨とこの街で待ち合わせをするのだろうか。
しみじみとそんなことを考えていた友也は、待ち合わせ場所にいる馨の姿を見つけて駆け寄る。
彼の接近に気付いた馨がスマホから顔を上げ、首を巡らせた。その拍子に緩く編んでいたセミロングの髪が肩から背中へと滑り落ちる。亜麻色のその流れに、一瞬だけ気を取られた友也は立ち止まって思わず口籠ってしまう。
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