兄さんの妻 (Page 4)
「……アンタ、もしかして天然?」
「は?整形してると思ってたの?全部本物よ」
「アンタ、マジで天然だな!」
今までの義姉の印象がガラガラと崩れ落ちていく。ロボットのように冷たい女だと思っていたが、案外良い奴なのかもしれない。
なんて思ったら、なんだか笑えてきた。彼女はポカンとしていて、その様子がさらに面白くて、俺は涙が出るほど笑った。――声を出して笑ったのはいつぶりだろうか。本当に、本当に久しぶりな気がする。
「変なの……それより、早く準備しないと遅刻するわよ」
「は、ふはッハハハ――遅刻?なんの?クク……っ」
「面接の。午前9時に一社、10時から奉仕作業。午後は3時間のインターンが二つ」
「――面接!?奉仕作業!?何だよそれ……てか今何時!?」
「貴方を社会復帰させる一環よ。細かいスケジュールは後で送るわ。そして今は――8時26分ね」
「8時半ンンンン!?もっと早く起こせよ!遅刻するだろ!」
「私は6時から起こしてたわ。でも起きたくないっていうから寝かせてたの。スーツはそこよ。タクシー呼んでおくから、さっさと準備なさい」
山下は呆れたように言い放つと、布団を押し入れにしまって電話をかけ始めた。――前言撤回。この女、全然良い奴じゃねえ……!
「………………」
20時3分。俺はようやく地獄の社会復帰から開放され、マイスウィートホームにたどり着いた。――もう二度とシャバには戻りたくない。そんな下らない事を真剣に考えながら玄関のドアを開けた。
「おかえりなさーい。ご飯できてるわよ」
――義姉だった。新婚ほやほやの花嫁のようなフリフリエプロンを着た彼女が、パタパタと駆けてくる。右手にはしゃもじを持っていて、リビングの方からふわりと醤油の良い香りがした。
「……ただいま、っす」
――まぁ。たまには。……外で頑張るのも良いかもしれない。
結論から言うと、山下里香の手料理は美味しかった。一人暮らしを始めてから外食ばかりだったが、店の味を遥かに超えていた。食後のフルーツタルトも程よい酸味と甘味が絶品だった。
「ごちそうさま……でした」
「お粗末様です」
義姉はまだタルトを食べていた。一口サイズに切って、そのまた半分に切って、ようやく口に運んでいた。一連の動作を眺めながら、俺はほぼ無意識につぶやいていた。
「あの。……すごく、美味しかった――です。なんていうか、その……色々、ありがとうございます」
――やってしまった。彼女はお化けでも見たかのような表情を浮かべ、ピシリと固まっていた。宙に浮いたスプーンから食べられるはずだった苺が落ちた。
「……」
「……なんか言ってくださいよ」
「――あ、ええ、そうね。あの、えぇと……こんな時、どうすればいいのか分からなくて」
「笑えばいいんじゃないすか」
「そう、そうね……うん。こちらこそありがとう。嬉しいわ」
かなり照れた様子だった。手のひらでパタパタ仰いだり、唐突に伸びをしたり――必死に真顔を保とうとしているようだが、ほころんだ笑みを隠せていなかった
「ふはっ、ハハハ――義姉さんって結構面白いよな。俺、ずっと誤解してたわ」
クスクス笑い出した俺に、彼女は少しムッとしていた。
「面白くしようとしてないんだけど」
「ククク……その方が良いよ、その方が可愛げがある。前はほら――ロボットみたいだったし」
「あの人みたいに?」
山下里香が自嘲的に笑った。
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