裏切りの味は (Page 5)
真尋が面食らっていると、同じように面食らった顔の青年が姿を現した。
「あの、どうかしたんですか?」
「ああ」
無意味な声が青年の顔を見て、そして声を聞いただけで真尋の喉から発せられる。安堵にも似た感情が胸の中にあった。
「これ」
料理が入った保存容器を差し出し、真尋は何でもないことのように言葉を口にする。
「少し張り切り過ぎてしまって。この前のお詫びというには、足りないかもしれませんけど、良かったら」
青年は独特の色合いの瞳で真尋と、保存容器の間で何度か視線を行き交わせた。
「いいんですか?」
「もちろん」
おずおずと容器を受け取る青年に向かって笑みを向け。真尋は小さく頷いた。
少しばかり胸を締め付けるような、郷愁にも似た想いが真尋の体を包む。学生時代に憧れていた男子生徒へ調理実習で作ったクッキーを渡した時のことを思い出す。頬が赤くなってしまうのを隠すように、真尋は前髪を顔の脇へ流して耳にかけた。
「ありがとうございます」
はにかんだような青年の声、そして笑みに真尋も笑みを返し、踵を返して自宅へと、わずかな距離をふわりとした心地で歩く。
玄関ドアを閉ざし、鍵を後ろ手で閉めると奇妙な達成感がじわじわと真尋の全身を浸す。
暗い笑みが引き攣るように彼女の頬を歪めていた。
明かりも鏡もない玄関で、彼女はそのことに気付かない。
*****
テレビを消すと、真尋はリビングから寝室へと足を向けた。
今まで着ていたものを脱ぎ、汗などの湿気を外へ逃がす渇きの良い化繊のものへと下着も変える。
デザインは実用性重視の地味なものだ。スポーツブラは少々胸が窮屈だが苦しいというほどではない。バストの位置を整えてからシャツを着る。次いでブラジャーと同様の機能性ショーツ、スポーツタイツ、ランニングショーツと靴下を身に着けていく。
仕上げに髪を一つに結わえ、キャップを被る。
ちらりと姿見で全身をチェックするが、特におかしなところはない。
ランニングシューズを履いて、真尋はマンションの敷地を出て駆け出す。
空気は湿気を含んでいるようだったが、直前まで見ていた天気予報ではまだ雨は降らないはずだ。
一抹の不安があるものの、走っているうちに不安は希釈され、真尋の意識は走ることだけに集約されていった。路面状態を足裏で感じ、腕と足をリズミカルに動かす。呼吸は浅すぎず深すぎず、疲労を蓄積しないことを第一に繰り返される。
真尋のランニングコースは幹線道路を避け、住宅地を横断して市が管理している公園へ向かう道筋だ。公園をぐるりと一周して折り返し、同じ道順で帰宅することになる。
公園の中は緑地が整備され、その中を縫うように歩道が設計されていた。公道に敷かれたアスファルトより滑り難く、多少の凹凸はあっても走りやすい。
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