裏切りの味は (Page 6)
順調にコースを半ばまで消化していた真尋のキャップへ雨粒が落ちてくる。
予報では、まだ降らないはずだが、外れてしまったらしい。どれだけ振るのかは未知数だ。
仕方なく、真尋は手近な公衆トイレの軒下へと身を寄せる。緑地と同じくよく手入れされ、綺麗で臭いも殆どなかった。
肩や帽子の雨粒を払っていると、不意に隣へ誰かが駆け込んでくる。
その人物も彼女と同じように雨粒を払い、軒先に滴る雨粒を見上げた。
二人は打ち合わせでもしていたかのように、殆ど同時に横目でお互いを見る。
「あっ」
そんなふうに声を上げたのは、真尋のお向かいさんである青年――誠吾だった。
「……ランニング、始められたんですか?」
柔らかな声音で誠吾はそう言った。
「ええ。せっかく、教えて頂いたので」
真尋は答えながら、そっと腰の後ろで手を組むふりをして左手を隠した。
「そうですか。良かった。ご主人ともこの辺りを走られるんですか?」
「いいえ。夫には走らないと言われてしまいました」
苦笑した真尋に対し、誠吾は少し気まずそうに視線を逸らす。
彼の青灰色の瞳が見えなくなってしまったことを残念に思いつつ、真尋は会話を続けた。
「雨、止まないですね」
「え?」
唐突な会話の方向転換についていけなかったらしく、誠吾はきょとんとした顔で真尋を見た。
その無防備な表情に真尋は微笑む。
「雨が止まなかったら、どうしましょうか」
「公園を出た所にコンビニがありますから」
誠吾は公園の一方を指さした。
「僕が傘を買ってきます」
「濡れちゃいますよ」
「大丈夫です。その代わり、これを預かっていてください」
彼は小ぶりなバッグを少しだけ掲げて見せた。それから細長い指でジッパーを開けると、そこにはカメラが入っている。
「これ以上は濡らしたくないので」
「今すぐ行かなくても大丈夫」
真尋はそっと誠吾の手を掴む。
「まだ、止まないとは限らないですから」
「そう、でしょうか?」
「ええ。きっとそう」
名残惜しく思いつつ、誠吾から手を離し、真尋は背後の壁へ背を預ける。
二人は並んで雨を見つめた。
すっぽりと雨音に包まれて、輪郭を削り取られるような錯覚に真尋は陥る。そして、その錯覚が事実であれば、と真尋は思考が鈍くなった頭の片隅で考えた。
そうすれば――
そうすれば、どうなるというのか。
真尋は再び差し始めた日の光を感じながら錯覚を追い払う。
雨は次第に力を弱め、最終的にその名残を庇から落とすだけになる。
「……止みましたね」
誠吾が告げ、二人は連れ立って歩き出した。
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