隘路
偶然出会った香史郎(こうしろう)とカリン。お互いの素性も知らない二人は共犯関係となって、奇妙で歪な関係を構築する。隘路を並び歩くような不器用な二人の関係は祝福とは無縁の暗い、ほんの僅かな歩み寄りで変化するのだった。
香史郎(こうしろう)が彼女と出会ったのは、春と夏の間だった。
どちらかというとほんの少し春に近く、夏の気配は薄い夜。温んだ春の気配は夜になってもそのままで、とろとろと物事の輪郭も緩んでいるようだった。
そんな夜に、香史郎は受験勉強のために向かっていた机から離れ、夜の町へ歩き出したのだ。
ごうごうと風が遠く唸る音まで耳に届く静かな夜でもあった。だからなのか、彼女の細い声も香史郎は耳にすることになる。
「……て」
街灯の灯りが途切れた先の、夜の中にあってもさらに暗い路地。その奥から誘うように声はまろび出てきた。不思議と怖いという気持ちはなかった。好奇心すらない。香史郎は通学路を歩く時のように、当たり前の気持ちで路地へと踏み入れる。
荒い呼吸と、切れ切れの苦鳴。擦られた舗装路が立てる聞き慣れない物音。それらを暗がりに慣れきっていない目よりも先に耳が捉えた。
数舜の間をおいて隘路の暗がりにも目が慣れると、彼の数メートル先に男がうつ伏せに倒れているのが見える。もぞもぞと蠢く背中を眺めていると、それは男が倒れているのではなく、別の誰かに覆い被さっているのだと知れた。
そして、男に組み敷かれている誰かと――彼女と、香史郎の視線が交差する。
先に視線を逸らしたのは、香史郎だった。
逸らされた視界の隅に、不法投棄されたらしいガラクタがある。彼は躊躇うことなくそれを拾い上げた。男の背後へと歩み寄ると香史郎は存外ずっしりと重みがあるガラクタを、拾い上げた時と同様に躊躇いなく振り下ろす。
固いもの同士がぶつかって反発し、衝撃が幾らか持っていた香史郎の手に返ってくる。
もう一度、香史郎は男の後頭部へガラクタを叩きつけた。男の体がびくっと跳ね、四肢を突っ張らせた後に幾ばくもなく完全に脱力しきる。
ガラクタを脇へ投げ、香史郎は動かなくなった男の襟首を掴んでどかした。脱力している体は重たく、引っ張られた襟首が男の喉へ食い込むが抵抗すらしなかった。
男の下から這い出してきた彼女の顔は恐怖のためか、引き攣っている。
ふと、香史郎は彼女が怯えているのは自分を組み敷いていた男に対してのものかあるいはそんな男を攻撃した自分に対してなのか気になった。
「怖い?」
ストレートに香史郎は訊ねる。普段であれば、彼はこんな物言いをしない。だが、今は妙にそっけない気分だった。
「……怖かった」
過去形なのだと、それだけを香史郎は思う。
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