あの日に帰れるのなら

・作

明日は俺の結婚式。そんな日に俺が想うのは、結婚相手の恵美香ではなく、学生時代に付き合っていたつばめのことだったーー。「つばめの身体、全部、見たい」真昼間、そう俺は懇願した。いやだと口では言うが、抵抗してはこない彼女を俺は脱がせてゆく。ブラジャーのカップをずらし、下着も引き下ろして、彼女の白い肌が露わになっていって……。

婚約者の恵美香をホテルまで送り届け、一人暮らしの部屋へと戻った。

明日は俺の結婚式だ。式は俺の地元であり、恵美香と出会い暮らしている地である札幌で行うことになった。恵美香が生まれ育ったのは東京で、今日は彼女の両親がすでに式のためにこちらへ着いているので、彼女も両親と同じホテルに泊まることになっている。

いつもは布団に入れば5分もあれば眠りにつけるのだが、今日はなんだか睡魔がやってくる気配がない。

しばらくベッドの上で羊を数えたりごろごろと体勢を変えてみたりしていたのだが、どう頑張っても眠れず、仕方なくキッチンへと向かった。

寝酒でも、と思って立ち上がったのだが、万が一明日に残るとよくない。ふと思い立ち、小鍋に牛乳を注いでコンロに火を点けた。

恵美香は、結婚するには申し分のない女だと思う。性格は穏やかで包容力があり、料理もできる。特別美人というわけではないが、愛嬌はあるし不細工でもない。男性経験は少なく、何より深く俺のことを愛してくれている、結婚に向いた女だ。

鍋肌に近い部分でふつふつと泡が弾け始める。火を止めて、そこに蜂蜜を垂らした。木べらでかき混ぜ、たっぷりとマグカップに注いだ。

『眠れない夜には、ホットミルクがいいよ。蜂蜜入れて、甘くしたやつ』

大好きだった声が蘇る。

恵美香のことは大切な存在だと思う。それなのに、どうして俺は結婚式前日に別の女のことを考えているのだろう。

俺が結婚するのは、恵美香だ。けれど、俺がこれまでの人生でいちばん大好きで、愛おしいと思ったのは、つばめという女だった。

 

マグカップに顔を近づけると、蜂蜜の濃厚な甘い香りが漂ってきた。普段は甘いものは好んでは飲まないのだが、今日はその甘さが俺を宥めて落ち着かせてくれるようだった。

芦原つばめは、高校の同級生だった。俺は野球部で、彼女は帰宅部だった。

高校3年になったばかりの頃、部活中にヘッドスライディングをして顔を擦り剥いたことがあった。そのとき部室の消毒液が切れており、保健室へ借りに行ったときに出会ったのがつばめだった。

「あれ、保健の先生、いないの?」

「今、どっか出かけちゃってるみたいで……わたしで出来ることなら、手当てしましょうか?」

「いいの?じゃあ、お願いしようかな」

彼女はそっと俺に近寄ると、冷たくて細い指先で、俺の頰に触れた。いたそう、とぼそりとつばめは呟いた。

消毒液を浸した脱脂綿を当てられ、患部に鋭い痛みが走った。

「いった……」

「野球部、いっつもみんな一生懸命練習してますよね」

「毎年初戦敗退のくせになー」

はは、と笑うと、つばめも微笑んでいた。小さい唇と、あまり大きすぎない目が上品で可愛いなと思った。

手当てをしてもらいながら、彼女の名前やクラス、部活はしていないことなんかを聞き出した。

その頃にはもう、つばめのことをいいなと思っていた。おそらく、好きになり始めていた。きっともう恋が始まっていたから、絆創膏を貼って、おしまい、と言ったつばめについ言ってしまったのだ。

「あのさ、野球部の練習……よかったら、見にきてよ」

ぜんぜん、無理にとは言わないけど……と卑怯な俺は保険をかける。

「うん、見に行くよ。見たい」

絶対行くね、とつばめは返事をしてくれた。

にやけた顔でグランドに戻ると、チームメイトから何かあったのかと尋ねられた。なんだか彼女のことは内緒にしておきたくて、なんもねーよと乱暴に返した。

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