民宿の一夜 (Page 2)
食後すぐに風呂にも入った。宿泊施設のものとしては大きいとは言えない浴場だったが、それでも手足を伸ばしてゆっくり浸かれる湯船は自宅のものとは比較にならない。
部屋もコンパクトだが清潔感のある和室で、入浴中にととのえられていた布団からは優しい匂いがした。
明日以降の旅程も特に決めてはいないが、このまま北上しようと敦は考えている。
何も考えず、無心でバイクを走らせていれば余計な悩みに煩わされずに済む。
今夜は疲れているし満たされる食事と風呂でしっかり癒された。ぐっすり眠れそうだと思った敦はリラックスして布団に横たわる。
そして最近別れた妻のことを少しだけ思い出すと苦い思いが込み上げてきて、慌ててかき消すようにテレビでもつけようかと思ったとき、部屋の戸を叩く音がした。
「西村様」
「っ、はい」
少しびっくりして敦が答えると、柔らかく穏やかな絵美の声がした。
「美味しい葡萄があるんです、よろしかったら食堂に来られませんか?」
ドア越しにかけられた思わぬ誘いに敦がすぐ腰を浮かせたのは、やはり絵美を初めて見た時から強烈に好みだと思っていたからだ。
部屋の戸を開けると、あの可愛らしい笑顔があった。
「いいんですか?」
「お嫌いでなければ、ぜひ」
食堂のテーブルには、すでに大きめの皿に盛られた葡萄が置いてあった。
一目で高級品とわかるような大ぶりの巨峰とマスカットが一房ずつある。
「以前いらしたお客様が送ってくださったんですよ」
「そうなんですね」
「ひとりでは食べきれないなと思っていたから、西村様が今日いらして良かった」
冷たい烏龍茶を差し出して、絵美はテーブルの向かいに腰掛けた。
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