民宿の一夜 (Page 3)

「私もご一緒させていただきますね」

「あ、もちろん…じゃぁ、いただきます」

敦はマスカットの方から一粒もぎ取り、皮ごと口へ放り込んだ。
パリッとした皮を歯で破ると、じゅわっと果汁が飛び出して口いっぱいに上品な香りと甘味が広がった。

「うわぁ、おい…しいっ」

「でしょう?じゃぁ私はこっちを…」

絵美は巨峰の方を一粒取って、丁寧に皮を剥いて口に入れた。

「んんー」

幸福そうな顔で目を閉じ、葡萄を味わう絵美の表情をどことなく色っぽく感じ、少し気まずい思いで敦は口の中のものを飲み下した。

「おひとりで切り盛りされるんじゃ、大変でしょう」

「そうですね…」

少し俯いて困ったように笑う絵美は、しかしすぐに顔を上げて敦の目を見た。

「でもやっぱり夫との思い出がありますし、それにこの仕事が好きなんですよ」

「そうですか、いいですね…うらやましいな」

今度は敦が俯く番だった。
好きな仕事を好きな人としていたなんて、そしてそれを初対面の相手にも堂々と言えるなんて。自分もそんな人生が良かったと思う。

浮気の果てに家を出て行った元妻だけが悪かった訳ではないと、そうさせたのは自分だと頭では理解しているのに、こんな時には恨みの感情しか出てこない。

「西村様?」

心配するような声音で絵美が言った。

「あ、ああいえ、絵美さんのような女性と愛し合って一緒に仕事もしていたなんて…旦那さんが羨ましいなと思ったんです」

敦が取り繕うように苦笑いで答えると、目尻を赤くして絵美は笑った。

「そんなこと…」

「旦那さんはどんな方だったんですか?」

「…優しい人でした。そして…顔立ちは西村様に似ていました」

「え?」

急に空気が湿気を含んで重たくなったような気がした。

「普段はお客様とこんな風にお話しすることってないんです。でも西村様のお顔があまりに夫に似ていて、最初にお見かけした時からずっと、夫がそこにいるような、そんな気持ちになってしまって…」

「そう、でしたか」

絵美は笑って話しているが、瞳は潤んでいる。
おそらくこの3年、夫のことをずっと思い続けていたのだろう。
たまたま訪れた夫に似た男に、弱みを見せてしまってもそれは仕方のないことだった。

敦は絵美を慰めたいとも思ったし、同時に彼女に自分を癒して欲しいとも思った。
それは心も身体も、という意味で。

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