人魚姫は泡になるか? (Page 3)

 人魚姫。
 それが小さなころの彼女のあだ名だ。
 
 自由自在の泳ぎと、毅をあちこちに連れ回す突拍子のなさで、彼が密かにそう呼んでいた。
 だが、泳げなくなった人魚姫はどうなる?
 
 泡にでもなるか?
 
 やれやれと首を振り、毅は空想を振り払うとゆっくり水に背中を預けた。微かな浮遊感と圧倒的な質量に包まれる感覚に包まれる。力を抜くと浮力を得て、毅の体は水面にゆったりと浮き上がった。
 
「気持ち良いな。冷たくて」
「ね? 水の中っていいよね」

「寒中水泳はやりたくないけどな」
「アタシだってやだよ」

「どんぐらい、ここにいる?」
「もう帰ること考えてるの?」

「そりゃ考えるだろ。僕は学校のプールで徹夜なんてしたくない」
「アタシだって嫌だけどさぁ」

 不満たっぷりの声音で言いながら、同じように里緒が毅の横に浮かぶ。黒い水面に二人で並んで夜空を見上げることになった。
 
 言葉もなく、毅と里緒は月も星も見えない夜空を見つめ続ける。町灯りだけがうっすらとかかっている雲を微かに照らしていた。その夜空は無味乾燥として、のっぺりと平坦な未来を暗示しているようで、毅は気分が少し塞ぐ。
 
 里緒はどうなのだろうか、と横目で見る。だが、彼女の横顔からは何も読み取れない。幼馴染みの知らない横顔に、彼はそっと視線を外すことしかできない。
 
「ねえ、毅はキスしたことある?」
「喧嘩か?」

「ないの?」
「彼女いたら、お前とここにいるか?」

「いないんだ」

 里緒が笑ったので、毅は不貞腐れて水に潜った。それを追って里緒が素早く彼の下に潜り込む。人魚のようなその身のこなしに毅はぎょっとして、口から大量の空気を吐き出した。気泡が一斉に視界を横切っていき、息苦しさに耐えきれなくなった毅は水面へと戻る。
 
「捕まえた」

 水面で酸素を求めて口を大きく開けている毅を背後から抱き留めて、耳元で里緒が囁く。
 
「……何やってんだよ」
「こうやって、水の中で追いかけっこしてたじゃん」

「子供の時はな」
「今は違うの?」

「違うだろ」

 水着越しに感じる里緒の弾力は、記憶の中にあるものとはかなり違う。臍の上あたりで組まれている手の感触も自分で触れるのとは全く違う。違うこと尽くしで、毅の思考がパンクしそうになったところで、不意に里緒は体を離した。
 
 安心したような、惜しいようななんとも微妙な心持で毅も距離を取る。
 

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