乙女は兄のために処女を捧げる (Page 2)

 そんな真沙貴の呟きなど知るよしもなく、充姫は街の郊外にある屋敷へと帰ってきた。
 旧家の屋敷である彼女の家は華々しく、いつも人の出入りが絶えないのだが、今日は何故かひっそりとしていた。
 門の前にも人が立っておらず、彼女は誰にも声を掛けられることなく、玄関まで辿り着く。
 古びた樫の木のドアを勢いよく開けると、玄関ホールに響き渡るように声を張り上げた。

「ただいま帰ったわ! 伊武、伊武はどこに?」

 充姫の声を聞き、奥の部屋から使用人の伊武が慌てて駆け寄ってきた。

「ああ、お嬢様……。た、大変なことに」
「……何があったの?」
「獅朗様が逮捕されました……」

 伊武の言葉を聞いて、充姫は頭の中が真っ白になってしまった。

「えっ?」
「今朝、お嬢様が学校に行かれた後、警察の方が来られて横領の容疑で――」
「――そんなっ、何かの間違いよ! 間違いに決まっているわ!」

 伊武の言葉を制して充姫が声を張り上げる。
 しかし、そんな否定の言葉も実際に獅朗が連れて行かれている以上、虚しく響くばかりだった。

(それにしても、お兄様が横領? そんな馬鹿な話があるわけ……)

 そんな時、応接室の電話が鳴った。
 充姫が受話器に手を伸ばそうとするのを遮って、伊武が代わりに電話に出る。

「もしもし、藤井ですが」
「伊武じゃねえか、ちょっと充姫に替わってもらえるか?」

 電話の相手は真沙貴だった。
 何故このタイミングで電話をしてきたのか、まったく分からなかったが、彼の言葉に従い充姫が受話器を取る。

「……何の用かしら? ちょっと取り込んで――」
「――てめえの兄貴、大変なことになったそうじゃねえか」
「――っ!? 何でそれを……」
「まあ、いいじゃねえか、蛇の道は蛇ってな、というか俺んちの家業知ってんだろ?」

 そこで、充姫ははたと気が付いた。
 真沙貴が警察に口が聞く政治家の息子だということに。
 悔しいが背に腹は代えられない。
 彼女はこれまで出したことのない猫なで声で、懇願するのだった。

「ねえ、真沙貴、お願いがあるのだけど……」
「まさかお前からそんな声が聞けるなんてな。ふっ、面白い。聞いてやるから、俺んちに来いよ」
「……分かったわ、今すぐ行くから待っていてくれるかしら?」
「ああ、待ってるぜ。それと一人で来いよ」

 そう言って真沙貴からの電話はあっさりと切れた。
 充姫は伊武に事の顛末を話すと、すぐに真沙貴の家へ向かおうとした。
 しかし、彼は心配そうに彼女を引き留めた。

「お嬢様、大丈夫でしょうか? 真沙貴様は無理難題を言ってきたりはしないでしょうか?」
「……そうね、確かにその可能性はあるわ。でも、お兄様を救うためならば仕方がないわ。たとえ土下座してでも、真沙貴のお父様に働きかけてもらうつもりよ」
「そうですか、そこまでおっしゃるならば、仕方ありません。お送りいたします」
「良いわ、真沙貴の奴が一人で来いって言ったから」
「……本当に、大丈夫なのですか?」
「分からないわ……。でも、これしか方法がないのよ」

 充姫は唇の端から血が流れそうなほど噛みしめていた。
 その強い決意はとても動かせるものではない。
 そう考えた伊武は、渋々と引き下がるしかなかった。

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