落花
資産家の家に生まれながら、売れない画家として身代を食い潰すばかりの大森。そんな彼は引き籠って生活していたが、隣家から花びらが散っている様子を目撃し画家としての閃きを得る。さらなる閃きを求めて、隣家を訪問した大森を待っていたものとは……。
窓からは色のない陽光が室内に這入り込んでいた。黄ばんで毛羽立った畳の上を横切り、骨の浮いた襖に当たって曲がる。襖に描かれていたのであろう柄はとうに褪せて消えていた。
光の帯にぬぅと影が横切る。
影の主は部屋の隅に敷かれた万年床から起き上がった男だ。纏った寝間着は帯が緩んで乱れており、裾から覗いた痩躯は不健康に青白い。
男は寝床から這い出て、開け放たれたままだった窓に近寄った。そして、染みの浮いた窓辺に肘を預け、茫洋とした目を外に向ける。視線は外に向いているが、見ているわけではない。緩慢な瞬きを繰り返し、意味のない視線を垂れ流しているばかりである。
そんな彼の目玉がぴくりと動いた。
視界の端で舞い落ちる何かに気付いたのである。それは生き物として持つ抗えぬ動作であった。だが、それで男は初めて覚醒したとでもいうように瞬きを繰り返す。
落ち着きなく首を巡らせて、自分を現実へと引き戻した動体を探して求める。
はらり。
……はらり。
蝶が舞うように閃きながら、それは落ちていく。
男の目がようよう焦点を合わせた。
舞い落ちていたのは花弁。
光の粒を押し固めたかのように鮮やかな黄色の花弁が、はらはらと宙を滑る。そして隣家との隙間に蔓延っている雑草の上で動きを止めた。
視線が花弁の軌跡を追うように上向く。
花びらの出所は隣家の二階だった。開け放たれた窓から差し伸べられた白い手。それが花弁を毟り取っては窓の外に放っているのだ。
男はその光景に窓から身を乗り出した。
窓枠が微かに軋む。それに構わず、男はさらに身を乗り出した。今や上半身を殆ど窓の外へ出し、血走った目で隣家を覗こうとしている。
彼がいるのはがっしりした造りの建物の二階で、眼下にはうらぶれた気配が漂う庭が木塀に囲まれていた。
目を眇め男が覗く先で色白な手が引っ込んでしまう。男は眼前で餌を引っ込められた野犬のように喉の奥で唸る。それから口をへの字にして窓から体を引っ込めると、閉めることもせずにそのまま部屋を出た。
彼は足音も高く階段を降り、一階の最も日当たりの良い部屋に入った。そこには無数のカンバスが並び、画材が並べられた棚が壁に備え付けられている。
部屋の中央にはイーゼルと椅子が一脚。
室内にあるものは全て埃を被っていた。
男は椅子の埃を払うこともせず、座る。そしてイーゼルに真っ新なカンバスを架け、それだけは埃を払った。
血走った目でしばらく男はカンバスを眺めていた。だが、それを止め、目を閉じる。
彼の瞼の裏では繰り返し、花弁が落ちて行く。
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