ワンチャンつながる
新井沙織は、20歳以上年上の職場の上司である浅野恭平に恋をしていた。ハンサムで仕事ができて女好きの恭平は、若い頃から40代半ばを過ぎた今もずっとモテ続けている。沙織は恭平を心の中で「推し」と呼んで、本気にならないようにカジュアルな片思いを楽しんでいたのだが、ある時2人で食事をする機会が訪れて…
新井沙織は、信じられない気持ちで目の前に座る上司の顔を見ていた。
入社した時から憧れていた浅野恭平と2人きりで食事する日が来るとは思っていなかったし、偶然とはいえ今夜こんなことになるならもっと綺麗な格好をしていれば良かったと恥ずかしくもなった。
「今日は本当に、悪かったね」
「いえ、そんな…謝るのは私の方です」
恭平が選んだのは小洒落た創作フレンチを出すちいさな店で、25歳の沙織からすると、どうやって知るのかもわからないような種類の飲食店だと言えた。
「いや私の管理不足だよ」
明らかに緊張した様子の自分をスマートにエスコートする浅野の姿は沙織にとって、どこか現実離れしている。
ほんの少量ずつ提供される料理はまるで、沙織が食べ物が喉を通らないほど緊張しているのをわかっているかのようだ。
「そんな…」
取引先と揉め事が起こりそうになっていたところを恭平に上手く収めてもらい、残った雑務も手伝ってもらって2人で会社に残った金曜日。ハンサムで仕事のできる上司に改めて憧れ、ときめいていたところで食事に誘われた沙織に、舞い上がるなと言うのは無理な話だ。
「もうやめようか、この話は」
大袈裟に苦笑いして見せて、恭平は言った。
こうして長引きそうな話を切り上げて、空気を切り替えるのが恭平は上手い。
仕事中もいつもそうだ。
沙織は、恭平がたまに見せるこの苦笑いが好きだった。
片方の口角だけをくいっとあげて、俯き気味にくしゃっと笑う様子はどこかセクシーで、沙織はいつもドキドキしていた。
「これ、おいしいから食べてみて」
トーンを軽やかなものに切り替えて恭平は言った。
奥二重で垂れ気味の目尻には皺が寄っているが、やはりハンサムだと沙織は思う。
「はい」
「おじさんと一緒の食事が労いにはならないだろうけど、味は本当にいいんだ」
「そんなことないですっ」
勢い込んで沙織が言うと、恭平は眉をあげて目元だけで驚いた表情を作った。
「浅野課長は、私の推しなので…あの、光栄です…一緒にお食事できて」
「はは、推しかあ」
数分前から恭平の目には、獲物を狙うギラついた光が宿っていた。
自分に気があることがわかっている女性と接する時ほど、恭平は大袈裟におどけたり、自分を「おじさん」と言って卑下したりする。
女性の心をくすぐり、夢中にさせることが恭平は昔から得意だったが、年齢を重ねてやり口は少しずつ変化していった。
「嬉しいよ、新井さんみたいな若い女性に嫌われていないというだけでありがたいことだ」
沙織は頬を染め、目を潤ませている。
40代も半ばを過ぎて、こんなに若い女からまだモテているという現実に恭平は内心にんまりする。
「課長のような男性を嫌う女性なんて、そんなにいませんよ」
「ありがとう、でも買い被りすぎだ」
今の恭平の年齢なら、決して上から目線にならず、穏やかな調子で、相手が自分に好意を持っていると確信できるまで決して性欲を覗かせないことが最も重要だ。
「新井さんが嫌じゃなければ、この後もう1軒付き合ってくれないかな?甘いものの美味しい店があるんだ」
「え、あ…私でよければ」
丁寧
描写がいつもより丁寧ですね。
カオル さん 2023年12月3日